徳川家は京都好き?
週末の4月2日、東京・上野公園に行ってみました。人出はそれなりに多かったですが、全域で宴会は禁止になっていているうえに、メインの通りは中央線を境に北行と南行に分離した一方通行になり、流れはスムーズ。「花を見る」ならこれで十分ですね。肝心の桜は、散り始めてはいましたがまだ見頃の範囲でした。ピークは週の半ばだったんのかな。紅葉以上に時期を合わせにくいのが桜です。自然が相手なので仕方ないですが。
上野公園には寛永寺の施設として清水観音堂があります。ここも桜に囲まれて綺麗でした。
名前からわかるように、京都の清水寺を模しています。規模はだいぶ小さいですが、斜面に舞台が張り出す懸造りになっているのが分かります。写真では切れてしまっていますが、右手には斜面を上がる石段もあり「本家」と同じような配置です。音羽の滝はさすがにありませんが。
お堂の正面の円を描いたような不思議な樹形は「月の松」と言われるもので、江戸時代から名物だったそうです。これは本家にはありません(^^;
上野からほど近い、小石川後楽園の中にも、清水観音堂「跡」があります。関東大震災のときに焼けてしまったそうで、礎石しか残っていませんが、ミニサイズながら絵図で懸造りになっていたことが分かります。寛永寺は江戸幕府が天海僧正に整備させたものですし、小石川後楽園は水戸藩上屋敷の庭園ですから、どちらも徳川家の趣味ということになろうかと思いますが、清水寺を模したものが2つもあるなんて、どんだけ京都にあごがれてたのよ、と思ってしまいますね。それと同時に、当時から清水寺は超メジャーな名所として認識されてたのだなあということもわかるような気がします。
そうそう、清水観音堂では花まつり期間ということで、舞台上でお釈迦様に甘茶をかけたり、甘茶の接待もありました。人生初体験!
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