2022年4月 5日 (火)

徳川家は京都好き?

 週末の4月2日、東京・上野公園に行ってみました。人出はそれなりに多かったですが、全域で宴会は禁止になっていているうえに、メインの通りは中央線を境に北行と南行に分離した一方通行になり、流れはスムーズ。「花を見る」ならこれで十分ですね。肝心の桜は、散り始めてはいましたがまだ見頃の範囲でした。ピークは週の半ばだったんのかな。紅葉以上に時期を合わせにくいのが桜です。自然が相手なので仕方ないですが。

 上野公園には寛永寺の施設として清水観音堂があります。ここも桜に囲まれて綺麗でした。

Kiyomizu

 名前からわかるように、京都の清水寺を模しています。規模はだいぶ小さいですが、斜面に舞台が張り出す懸造りになっているのが分かります。写真では切れてしまっていますが、右手には斜面を上がる石段もあり「本家」と同じような配置です。音羽の滝はさすがにありませんが。

 お堂の正面の円を描いたような不思議な樹形は「月の松」と言われるもので、江戸時代から名物だったそうです。これは本家にはありません(^^;

 上野からほど近い、小石川後楽園の中にも、清水観音堂「跡」があります。関東大震災のときに焼けてしまったそうで、礎石しか残っていませんが、ミニサイズながら絵図で懸造りになっていたことが分かります。寛永寺は江戸幕府が天海僧正に整備させたものですし、小石川後楽園は水戸藩上屋敷の庭園ですから、どちらも徳川家の趣味ということになろうかと思いますが、清水寺を模したものが2つもあるなんて、どんだけ京都にあごがれてたのよ、と思ってしまいますね。それと同時に、当時から清水寺は超メジャーな名所として認識されてたのだなあということもわかるような気がします。

 そうそう、清水観音堂では花まつり期間ということで、舞台上でお釈迦様に甘茶をかけたり、甘茶の接待もありました。人生初体験!

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2022年3月10日 (木)

東京大空襲77年

 きょう3月10日は一晩で10万人が殺されたとされる東京大空襲から77年の日でした。この惨禍を繰り返さないという思いが込められた東京大空襲資料展を訪れました。会場は浅草公会堂の1Fギャラリー。広くはないスペースですが、柳条湖事件から始まる日中15年戦争の歴史、東京の空襲の履歴、防空体制と国民統制、学童疎開、焼夷弾とB29の解説、空襲の実態などがパネル展示や実物資料、写真などでコンパクトにまとめられていました。目をそむけたくなるような凄惨な写真も含まれていますが、これが戦争。戦争指導者は絶対安全なところにいて指示するだけで、犠牲になるのは庶民や最前線の兵隊です。

 多くの犠牲が出たのは米軍による焼夷弾攻撃のすさまじさもありますが、パネル展示によれば国民が防空法に縛られていたことも大きいです。防空法により都市からの退避が禁止され、空襲時には消火義務が課せられていました。「逃げるな火を消せ」です。当時の警視総監が後になって「防空演習がかえって犠牲を増やしたのではないか。逃げてくれればこんなに犠牲は増えなかった」と悔やんだといいますが、後の祭りです。

 会場で配布されていたパンフレットを参考に、浅草寺境内に残る空襲の痕跡も見ました。

Asakusa

 本堂の東側にあるご神木です。拡大していただくとよくわかりますが、黒く焼けた跡がはっきり残っています。東京大空襲で浅草寺は本堂も五重塔も雷門も仲見世も焼け落ちました。今日はそんなことがなかったかのように大勢の参拝客でにぎわっていましたが、こうして静かに惨禍を伝えているものもあります。

 資料展に出ていた日中15年戦争の歴史を見ていると、いま進行中のロシアによるウクライナ侵攻と重なります。ウクライナを中華民国に、ウクライナ東部2州を満州に置き換えてみれば。。。即時停戦を求めます。

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2022年3月 7日 (月)

ミロ展を観る

 週末は東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「ミロ展~日本を夢みて」を観てきました。正直なところ、ミロのような作風はあまり心惹かれないのですが、副題にある「日本を夢みて」に興味が湧きました。

 浮世絵(錦絵)をコラージュで貼り付けた人物画、扇をモチーフに取り入れた絵、平面的な風景画のような20世紀初頭のジャポニズムのブームの影響を受けたようなものから、巻物形式の絵や、戦後に初来日して以降に制作された、まるで書を思わせるような作品のほか、ミロが所蔵していた浮世絵や民芸品、刷毛やたわし(笑)のようなものまで、確かに日本とつながりを感じられるものが多数展示されていて興味深かったです。やきものまで作っていたとは驚きでした。

 展示されていた初期の作品はゴッホに近いポスト印象派といった感じでしたが、パリに移ったあとの作品はシュルレアリスムのほうに行って「なんだこれ」という感じになるわけです。絵の横の解説に「女」だと書いてあっても、どこがだよ、みたいな(微笑)。それがいままで心惹かれない理由だったのですが、本展を観ていて、個人的には縄文の土偶や土器に通じるものがあるなあと思ったりしました。土偶はたいてい女性を表しているそうですが、デフォルメがものすごくて「そんな人いないだろ」みたいなところ、ありますよね。遮光器土偶だって、どうしてああいう造形になったのか。あるいは火焔型土器。あの必要以上に凝りまくったデコレーションは何を表しているのかよくわかりませんが、そういうところとも通じているような。もっともミロは土偶も土器も見ていないと思いますが。。。そう考えると「何が描かれているのか」理解しようとする必要はなくて、パターン・イメージとして受け止めて見ればいいなと。

 本展の出品作品はかなりの数が国内の美術館などに所蔵されているものでした。またミロに関する単行本は世界に先駆けて日本で、それも戦前に出版されていたというのも驚きでした。日本にはミロの作風を受け入れる土壌があったということでしょうか。これも面白いですね。

 私が観たのは3月6日でしたが「ミロの日」とかで、出口でミロ(麦芽飲料)を貰いました(笑)。改めてパンフレットを見たらネスレ日本が協賛してるんですね。こういうダジャレ、嫌いじゃないです。

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2022年1月17日 (月)

忘れるものか

 きょう1月17日は阪神淡路大震災から27年でした。休み明けの平日ですが、思えば27年前も成人の日の振替休日の翌日でした(当時の成人の日は1月15日固定)。関東住みの私が朝7時頃に起きて、地震を伝えるNHK総合テレビジョンに映っていたのは電柱が倒れていた映像だったと記憶しています。「派手に倒れてるな」とは思いましたが、いつもどおり出社。まさかあんなことになっているとは、その時点では思いもしませんでした。

 今日、追悼行事が行われた場所の一つである神戸・三宮の東遊園地に灯籠で形作られた文字は「忘」でした。当事者の危機感を表しているように思えました。関西に居たことはあっても震災の直接の当事者ではない私ですが、忘れるものか、という思いです。遠く離れていても、それぐらい衝撃を受けた災害でした。何も語れることはないけど、せめてこうして綴ることだけはしていきたいと思います。私が語れないことは、神戸新聞が伝えています。

 * * *

 14日から開幕した東京国立博物館の特別展「ポンペイ」をきのう16日に見てきました。火山の噴火によって埋もれた都市としてあまりにも有名ですが、展覧会のキャッチコピーは「そこにいた。」でした。出土品などを通して、そこに暮らしていて犠牲になった人々に焦点を当てようとしたものと理解しました。最初の展示物は、うつ伏せで倒れている状態の女性の犠牲者の石膏像でした。その像の型をどうやってとったのか、解説がなかったので技術的なことはわかりませんが、あまりにも衝撃的でした。この展覧会は写真撮影OKなのですが、これだけは撮る気になれませんでした。災害というとどうしても記録に残りやすいハード的な被害に目が行きがちですが、そこに生きていた人がいたということを忘れないようにしたいと思います。

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2021年12月 2日 (木)

錦秋の京都・2021

 12月に入り京都の紅葉の見ごろも終わり近いようですが、先月の20・21日の両日、2年ぶりに紅葉の時期に上洛しました。新型コロナの状況が比較的落ち着いている状況の中で、今年は当たり年であるという情報もあり、これは行っておかないと後悔するかなと。

 果たして結果は。。確かに当たり年でした。近年はなかなか鮮やかというか、深い色の紅葉に巡り合えていなかったのですが、今年は良かったです。

Nisonin

二尊院(11月20日)

 

Toufukuji

東福寺(11月21日)

 

Shisendou

詩仙堂(11月21日)

 

 他にもいくつか巡りましたが、総じて良かったです。見頃に入りたてでちょっと早いかなというところもありましたが、それはそれでグラデーションも綺麗でしたし。ちなみに一般には色づきが5分になると「見頃」と表示されます。旅程を最盛期(ピーク)に合わせるのは年によって変動がありなかなか難しいところです。

 人出は多いと言えば多いですが、コロナ前に比べれば7割~5割という体感。TVのワイドショーでは混雑を強調するような取り上げ方もありましたが、コロナ前はそれこそ人が渦を巻くような感じでしたので、それに比べれば落ち着いてました(あくまで当社比です)。東福寺の臥雲橋・通天橋も写真撮影が禁止でなかったですし。コロナ前の数年はあまりの混雑に撮影禁止となっていたものです。

 そんな状況でしたが、京都が最も賑わう時期に市バスの観光系統(急行100番台)が全面運休という対応はどうなんでしょうね。交通局のサイトによれば感染拡大防止のためとされていますが、結局生活系統に観光客が押し寄せて混雑してしまいます。地下鉄の烏丸線が増発してたぐらいですから、清水寺・銀閣寺方面の100番だけでも動かしたほうが良かったのでは?と思ってしまいます。

 あと印象的だったのは、この状況でも行く先々でアジアの外国語の会話もそこそこ聞こえました。インバウンドは原則止まってるはずですから、国内に定住・共生している方が多いのかなと実感した次第です。

 桜は毎年、確実に花を咲かせて見応えもあまり変わらないものですが、紅葉は年によって色づきが結構変わります。時間によって光線の具合も変わり、まさに一期一会。今年見られたことに感謝しつつ、また当たり年が来ることを期待したいと思います。それには温暖化を止めねばならないですね。

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2021年6月23日 (水)

沖縄慰霊の日

 6月23日は沖縄慰霊の日。

 知り合いの尾崎亜美ファンに沖縄出身の方がいたりするぐらいで、自費で沖縄に行ったこともなく沖縄とはあまり縁がない私ですが、上皇さまも忘れてはならない日として挙げている日でもあり、近年は意識するようになりました。

 琉球新報に沖縄戦の特設ページがあります。「どんな戦争だったの?」というコンテンツが、まずはコンパクトにまとまっていて読みやすいと思います。はじめの一歩としてご覧いただければと思います。

 沖縄戦知っていますか?

 

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2021年6月 9日 (水)

荒川克郎さんを悼む

 きょうの朝刊の訃報欄に荒川克郎さんのお名前を見ました。1995年の阪神淡路大震災のとき神戸新聞社の社長だった方です。紙面の責任者は編集局長の山根秀夫さんでしたが、新聞製作の拠点だった三ノ宮駅前の神戸新聞会館が全壊するなど甚大な被害を受けた社の再建の陣頭指揮をとったのは荒川さんだったと伺います。

 震災時の新聞社の活動を追ったノンフィクションの「神戸新聞の100日」によれば、震災発生の朝、社長宅と新聞会館の山根編集局長の電話がつながったとき、荒川社長が最初に出した指示が「何としても新聞を出せ。あとは心配するな」だったそうです。まだ被害状況も詳細につかめていない中で「新聞発行継続」という目標をいち早く打ち出したことが、社がひとつにまとまることにつながったということです。

 神戸新聞社は震災で紙面製作システムを失い紙面の自力発行は不可能になりましたが、相互援助協定を結んでいた京都新聞社の全面的協力を得て当日夕刊を発行し、翌日以降も無休刊を続けています。この相互援助協定も、荒川社長と京都新聞社の坂上守男社長(当時)との雑談から震災の1年前に生まれたものだそうです。神戸ハーバーランドに新社屋を建設中だったことも幸いし、再建は進みました。

 編集局長だった山根さんも、自らの被災体験を「被災者になって分かったこと」という社説にして反響を呼んだ論説委員長の三木康弘さんもすでに鬼籍に入られました。当時を知る方が少なくなっていく中、記憶の継承の重みがいよいよ増してきます。ご冥福をお祈りします。

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2021年4月27日 (火)

神戸阪急ビルの復活

 きのう4月26日、「神戸三宮阪急ビルがオープン」という記事を神戸新聞のサイトで見ました。「ついに復活したのか・・・」と感慨深いです。

 このビルの前身は神戸阪急ビル。阪急電車三宮駅の駅ビルでした。阪急電車の高架の線路を抱き込む形で建てられていて、アーチ型の開口部から電車が出入りする様は、その横に同寸で並んだアーチ型の優美な飾り窓と相まってモダンで、ナウい言い方でいうと「映える」三宮のランドマークでした。それが失われてしまったのが95年の阪神淡路大震災。上層階が崩れたために解体され、長らく小さな仮設ビルになっていました。それがついに「神戸三宮阪急ビル」として復活したのです。

 新しいビルは地上29階建てで、旧ビルの5階建とは比べ物にならないほど高層になりました。しかし低層部は旧ビルのデザインが踏襲されています。工事がやりにくいのか、線路を抱き込む形にはなりませんでしたが、それでも震災前の姿、私の思い出の中の三宮を想起させるには十分です。

 新型コロナの緊急事態宣言下での開業となりましたが、盛業となることを祈念します。

 神戸新聞が、旧ビルの歴史から今回の再開発までをコンパクトな動画にまとめていました。参考にどうぞ。

 〝阪急会館〟の意匠受け継ぐ「神戸三宮阪急ビル」開業へ

 地元では神戸阪急ビルを「阪急会館」と通称していたようです。

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2021年4月 6日 (火)

渡辺省亭展を観る

 3日は東京芸術大学大学美術館で開催されている「欧米を魅了した花鳥画 渡辺省亭」展を観てきました。私にとって初めて聞く名前でしたが、後年は中央画壇や展覧会から離れたために日本では忘れられた存在になっていたのだとか。それが近年再評価されているということです。ポスターなどには「次はこれだ!」というキャッチコピーが踊っています。

 近年大人気の伊藤若冲と比較されるという話もあり、興味が湧きましたが、実際に観てみると、なるほどと思うところもあります。対象をよく観察してリアルに精緻に描いているところとか。ただ若冲であまりにも有名な「動植綵絵」のようなものとは印象は全く違います。若冲の絹本彩色画は割と原色系のこってりした色使いですが、省亭は色使いがあっさりしていてグラデーションが繊細。それと、主題以外の描き込みは水墨画に近いラフな感じだったするものもあります。その分主題が引き立つとも言えるかな。西洋の水彩画に日本画の美意識を持ち込んだ、みたいに私は感じましたが、公式サイトをご覧いただいたほうが良いでしょう(笑)

 知名度が高くないせいか、天気のよい土曜の午後でしたが混雑もなく、レイアウトがゆったりしていることも相まって、落ち着いてゆっくりと楽しめました。抽象画を見てもどうもピンとこない私にとって、写実的な絵が並ぶ本展は大満足でした。

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 今年は桜が早かったですね。美術館から眺める大学構内の桜は散りはじめていました。

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2020年9月22日 (火)

河合神社を参拝

 18日に尾崎亜美コンサートを観るため上洛しましたので、その足で翌日、前から気になっていた河合神社にお参りしてきました。なにせ名前がいいでしょ(^^) 

 場所は下鴨神社の近く。というか下鴨神社の摂社です。糺の森を下鴨神社への長い参道が貫いていますが、その参道の入り口付近にあります。

Kawaijinja_1

 最近ここは美人祈願ということで人気があるそうで、看板もそれをアピールしてますね。河合神社で美人というのは納得いきます(^^)

Kawaijinja_2

 というわけで、参拝者は圧倒的に女性が多いですが、誰でも自由にお参りできます。こじんまりとしていますが、境内にはこの神社にゆかりのある鴨長明が住んだ「方丈の庵」も再現されています。そして美人祈願の手鏡の形をした絵馬がずらり。

 お札を求めましたが、「加茂河合大神」と書かれています。ありがたい(^^)

 ということで、下鴨神社の参拝の際はお立ち寄りは如何でしょうか。

 

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