2019年9月27日 (金)

松方コレクション展

 今週月曜で閉幕してしまった美術展なので今さら感満載なのですが、やはり印象深かったので綴っておきたいと思ったのが国立西洋美術館の「松方コレクション展」です。川崎造船所や神戸新聞社の社長を務めた松方幸次郎の収集した美術品は西洋美術館の礎になっており、開館60周年記念と銘打って散逸した美術品なども集めて開かれた美術展でした。

 なんといってもプロローグを過ぎて入った第1室が圧巻でした。高い天井の大広間でしたが、展示方法がユニーク。展覧会の絵画が横一列に並んでるものですが、高い壁を生かして絵が2段、3段と並んでいました。したがって壁一面にこれでもかというほど絵がずらり。もうここだけでお腹いっぱい、みたいな(褒め言葉です)。予習として見ておいたBS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」の解説では、画廊をイメージした展示にしたということですが、なるほど。また、動線的にもうまくできていているなと思いました。横一列の展示だと観覧者も壁に沿って横に移動しながらの鑑賞となって行列がなかなか進まないし、かといって後ろからではよく見えないし、というのが「あるある」だと思いますが、高いところにある絵は壁から離れないと見られないため必然的に横移動だけでなく前後移動も生じ、全体的に人の動きがあって見やすかったです。第2室以降も充実の展示が続きますが、絵画だけでなくロダンに代表されるブロンズ像なども収集していたことがわかります。いやはや、なんともすごい質量のコレクションです。松方氏が美術品を買い集めていたころ、パリでは「松方が来ると画廊が空になる」と言われたそうですが、その大人買いっぷりが目に浮かぶようです。

 個人のコレクションはその趣味が反映されて特定の画家だったり流派を系統立てたりしたものになるものですが、松方コレクションは印象派の絵画が中心ではあるものの系統だった収集ではないように見えます。多くはロンドンやパリなどの画廊で売られていた作品や、作家から直接買い付けたものだったりで、当時の欧州でナウい絵をごっそり買った結果として印象派が中心になった、というような感じに見えます。松方氏はもともと絵に興味は無かったとも言わているのですが、ではなぜ絵を集めたのか。「日本人に本物の西洋画をみせてやりたい」という言葉が残っています。最終的には美術館を開設して公開する構想も持っていました。西洋画とはこういうものだ、と見せるならば特定の流派にとらわれずに様々なタイプの作品を作例的に見せたい、ということだったのかなと個人的には想像しましたが、実際のところはどうなんでしょうねえ。それにしてもなぜ絵に着目したのだろう・・・そのあたりが美術展の解説では触れられていなかったのが、ちょっぴり消化不良だったかな。

 それから、松方コレクションには戦争の影がつきまとっているところが、内容とは別に印象的に感じます。そもそも買い付けの元手になったのは、第一次世界大戦下で不足していた船を高値で売って得た莫大な利益。それが、戦争終結による不況に金融恐慌が追い打ちをかけて川崎造船所は経営破綻し、債務返済の一環として日本に輸送済みだったコレクションは売り立てられて散逸。フランスで保管されていた分は第二次世界大戦下で敵国人資産としてフランス政府に接収。戦後になってそれが返還されて西洋美術館が開館し、やっと松方氏が目ざしたことが実現したという経過は、ドラマチックの一言では片づけられないように思います。

 

 とても充実した美術展で見ごたえがあり良かったですが、当然のことながら展示作品の多くは西洋美術館に収蔵されているもので、常設展でも見ることができる作品があります。どうしても日本の美術館は企画展中心になっている感が強いですが、常設展にも注目していきたいですね。

 * *

 松方コレクションの話からは通常、派生しないと思いますが、松方幸次郎は日本で最も早い時期に川崎造船所に8時間労働制を取り入れた人でもあります。神戸ハーバーランドの一角には「8時間労働発祥の地」の碑があります。これには異説もありますが、重工業では最初期と思われます。ちょうどこの頃、国際労働機関(ILO)で8時間労働制が採択されています。松方氏が西洋から持ってきたのは工業技術や絵画だけではなかったのです。松方氏が争議の交渉で8時間労働制導入を表明したのが1919年9月27日。ちょうど100年前になります。
(参考: 日経新聞の記事 神戸新聞の記事

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2019年8月 9日 (金)

リニューアルされた広島平和記念資料館

 きょう8月9日は長崎原爆忌ですが、6日の第18回ヒロシマ祭り参加の折に観た広島平和記念資料館のことを綴ります。私はだいぶ前に入館したことがありますが、リニューアル後は初めてです。

 8時15分を中心とした追悼のセレモニーが終わったあとに入館しましたが、屋外に待機列ができるほどの長蛇の列ができていました。外国人の方も見かけます。最初に展示されていたのは、被爆後の市内のパノラマ写真と、市内の被害の面的広がりがわかる映像展示。被爆前の美しい町並みと壊滅後の姿が切り替わるようになっています。以前は確か、人形を使った被爆後の再現ジオラマと、被爆後の市内一円の模型図が最初の展示でした。再現ジオラマ=いわゆる被爆人形はリニューアルで撤去されました。議論のあるところだとは思います。

 その後は「写真展示」「実物展示」「市民が記憶を元に描いた画」がいくつかのテーマに沿って並んでいました。とりわけ多く感じたのが、死没者の遺品です。それも10代の子どものものが大変多い。どういうことかというと、建物疎開、つまり家の取り壊しに動員されて屋外で作業していた生徒が多く犠牲になっているということなんですね。8月6日はたまたま、その建物疎開の集中実施日だったそうです。空襲の火災の延焼防止が目的ですが、そんな作業に今で言えば中高生を、男子だけでなく女子も動員していたということ、そして、建物疎開が実際の空襲に対してはほぼ意味が無かったことを思うとなんとも虚しくなります。遺品の説明にはその由来が書かれていますが、それとは別に添えられた遺族の記した文章を読むと、無念さが伝わってきます。

 市民の描いた画には被爆後の様々な惨状が描きこまれていました。描かれた方は精神的にも大変大きな負担だっただろうことが想像できます。写真がほとんど残っていない中、記憶を視覚化する取り組みは意義があると思います。冒頭の再現ジオラマの撤去の代わりにもなっているように思います。

 別室には核兵器の開発の歴史と現在の核軍縮に向けた取り組みがパネル展示されていましたが、今また逆行するような動きがあることは本当に残念です。

 館内が混雑していたこともあって2時間近くかけて見ましたが、原爆は「街」に落とされたのではなく「人間」の上に落とされたのだということを強く訴えたいのだと感じました。人の上にこんな兵器を落としていいのか、良いわけがない、ということです。(感じ方には個人差があると思います) 機会があればぜひ訪れて感じてみて下さい。

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2019年8月 8日 (木)

第18回ヒロシマ祭り

 8月6日は尾崎亜美さん、小原礼さんが出演する第18回ヒロシマ祭りに参加しました。開催日、カタカナ書きの「ヒロシマ」、そして副題の「市民がつくる追悼と音楽の祈り」から、この企画が原爆の追悼と平和の願いであることが分かります。

 1部が朝8時15分からの追悼式。2部が夕方18:00からのコンサート。有料チケットの対象は2部ですが、私は1部の追悼式にも立ち会おうと、夜行バスと列車を乗り継いで平和記念公園へ。広島駅から乗った広電電車が途中の紙屋町で交通規制にひっかかって足止めを食らい、追悼式の会場へは微妙に間に合わず、8時15分は相生橋(原爆ドーム至近・米軍が投下目標にした橋)の上で迎え、そこで黙祷しました。その後会場へ移動し、途中から式に立ち会い。亜美さん、礼さんも参加してました。

 2部のコンサートの会場は広島文化学園HBGホール。2階席まである大きくて立派なホールです。2階席の状況は見てませんが1階席はほぼ埋まっていました。

 まずは地元出身の音楽家、山下雅也さん(sax)と富永やよいさん(pf)の演奏。配偶者だそうです。歌謡曲、ジャズ、タンゴ、クラシックなど幅広いジャンルを演奏。チャールダッシュはヴァイオリンの早弾きのイメージが強かったのでサックスの演奏というのが意外でしたし、客席に降りて練り歩いたりと愉快な方でした。客席も沸いてましたね。

 次に折り鶴合唱団。花を題材にしたオリジナルメドレーを披露。アマチュアですが綺麗なハーモニーでした。声楽家もいてオペラの一節を披露していたのでびっくり。最後に花とは関係なく広島カープの応援歌を歌ったのは広島らしいですね。

 休憩という名の舞台転換を挟んで、今回メインの亜美さんと礼さん。
 亜美さんはいつものソロコンサートよりも心持ちトーク多めで、曲の説明や自身の思いを語りながら、でもやっぱりいつものユルいトークも交えつつライブを進行してました。

<曲目>
1.My Song For You
2.マイ・ピュア・レディ
3.冥想
4.シーソー
5.私がいる
6.Smile
7.天使のウィンク
8.伝説の少女
9.オリビアを聴きながら

en1.明日に架ける橋
en2.スープ

 最近のライブの凝縮版といった曲目ですが、意外にも「冥想」は礼さんと二人だけでの演奏は初めてなんだとか。失敗したら忘れて下さいという前置きがありましたが、バッチリでした。またやっていただければと。
 アンコールでの「スープ」は「広島で歌うことに意味がある」と話していました。その思いは伝わったと思います。私も聴いていてひときわ感慨深かったです。
 亜美さんはMCで「音楽でできることは何だろうと常に考えている」と話していました。ロビーに貼り出された色紙には“「音楽」が平和のためのチカラになりますように!!”と記されていました。

 最後は出演者全員で「折り鶴」の歌唱。配られたパンフレットに歌詞カードが差し込まれていて、客席も一緒に歌いましょうという趣向だったのですが、私はこの曲を知りませんでした。まわりの方は普通に歌い出しましたので、広島の方は皆さんご存じなのかな。私は1番は聴くことに徹して曲の構成をつかみ、2番から合わせるように歌い出しました。案外なんとななるものです。

 和やかで温かい雰囲気のうちにコンサートは終了。良いコンサートでした。何より、8月6日という日に広島に行くきっかけを作ってくれた亜美さんと実行委の方に感謝。正直なところ、行く前はこれといって広島に縁の無い私が8月6日に広島に立つということが、表現は適当でないかもれないけれど怖かったのです。でも、行って良かったです。それと、ちょっと意外だったのは、亜美さんが「実行委の方はみんな明るい。明るく戦争や原爆のことを語っている」と話していたことでした。私はそういう話をするときはしかめっ面をしてるものとばかり思っていたので。。。伝え方として、そういう方法があるんだと。いろいろなことを考えたり意識した8月6日でした。

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2019年8月 5日 (月)

大阪?梅田?

 阪神電車と阪急電車の梅田駅が「大阪梅田駅」に改称されるというニュースが、関東にも伝わってきています。外国人観光客や関西以外の地域の方が「梅田は大阪にあるのか」という問い合わせがよくあるから、だそうですが。関西に多少の縁がある私としては梅田のままで全然気にならないのですが、一見の旅行者にはわかりにくいということでしょうか。数年前には神戸側も三宮駅が「神戸三宮駅」に改称されているので、どうもそういう「流れ」を感じます。

 ただ、大阪を冠することで梅田がJR大阪駅に隣接した乗換駅であることが明示されることになるのか、というとそれはまた別の話になります。というのも市内には既に近鉄電車に大阪阿部野橋、大阪上本町、大阪難波、と大阪を冠する駅名があるからです。大阪と付いているからとJR大阪駅に隣接しているという判断をしてしまうと大惨事になります(笑) 大阪はあくまで地域の識別でありこれからも梅田=JR大阪という認識は持っていないと正しい乗り換えはできませんね。

 阪急京都線では京都側終着の河原町駅も「京都河原町駅」に改称されるそうですが、それなら烏丸駅の改称も考えて欲しかったですね。烏丸駅は京都地下鉄烏丸線との乗換駅ですが、地下鉄は「四条駅」。なんでこんなことになるかといえば、駅のある場所は四条烏丸なのに、四条通地下を走る阪急は四条を省略してしまい、烏丸通地下を走る地下鉄烏丸線は烏丸を省略してしまったからですね。ここは地下鉄側とも協調して駅名を四条烏丸にするほうが乗り換えもわかりやすく地名としても正当だと思いますが。ちなみに地下鉄烏丸線の烏丸御池駅は、御池通地下を走る地下鉄東西線が開通するまでは御池駅でした。それでは不都合と感じて改称したのでしょう。同じ理屈です。

 駅名は地域のアピール利用の思惑や鉄道会社の誘客施策などが入り乱れて一筋縄で決められないことが昔から多くあり、二重地名やキラキラネームなどが生まれやすいのですが、まずは公共交通の利用者がわかりやすい方向で考えて頂きたいものです。

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2019年7月17日 (水)

祇園祭・前祭宵々山

 きょう7月17日は京都・祇園祭の前祭の山鉾巡行でしたがこれに先立つ15日の宵々山を観てきました。宵山期間の祇園祭を観るのは久々で、かつ山鉾巡行が前祭と後祭に分かれて(元に戻って)から前祭を観るのは初めて。山鉾は昼間から見物はできますが、やっぱり宵々山というぐらいで駒形提灯に灯がともる宵からが本番とばかりに、18時少し前に四条烏丸へ。

 Naginata  
 こちらは不動の一番、四条通烏丸東入ルの長刀鉾。堂々としてますね。歩行者天国になる直前で既に車両の通行規制が始まっておりすっきり撮れてますが、少し前までは自動車が横をバンバン通ってたわけです。山鉾は文化財級のものですから山鉾町の関係者としては気が気ではないのではと。 

  Yamabushi
 室町通錦小路上ルの山伏山の町会所。鉾に比べると地味な印象の山ですが、乗っている飾り物は個性的なものが多いです。山の場合は宵山期間中は骨組みのままで、飾り物や懸装品は町会所などで展示しているところが多いようです。

Houka
 こちらは新町通四条上ルの放下鉾。元・電車通りで広い道幅の四条通に建ち並ぶ鉾もいいですが、昔ながらの道幅で高層の建物がない通りに建つ鉾のほうが「伝統の祇園祭らしさ」が感じられるし迫力もあるように思いますが、如何でしょう。ただ残念ながらこうした道沿いでも昔ながらの町家が減っており、景観と都市の活力とのバランスはどうあるべきかという点は悩ましいですね。最近はインバウンド需要を見込んでホテルや簡易宿所の建設ラッシュだそうで。。。

 他にも見て回りましたが帰りの時間の関係でとても全部は回れず・・・それでもかなり楽しめました。鉾で奏でる祇園囃子とか山鉾町のちまき売りの声とかを聴きながらそぞろ歩くのはいいものです。昔に比べると狭い通りの一方通行規制や四条通りでの中央分離帯を設けた左側通行が徹底しており、人出の割にはスムーズに歩けた印象です。戦争での中断期間はありますが 今年は祇園祭が始まって1150年だそうです。これからも末永く続いて欲しいなと思います。そのためには平和な世の中でないといけませんね。

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2019年6月 8日 (土)

立木義浩写真展「時代」を観る

 Jidai

 きょうは本館お便り広場で情報を頂いた立木義浩さんの写真展「時代」を東京・上野の森美術館で観てきました。会期末ギリギリ(^^;
 結論から先に申し上げると、展示作品に河合奈保子さんのポートレートはありませんでした。割と幅広いジャンルの著名人のポートレートが展示されていますが、圧倒的に多いのは役者、次に映画制作者だったかな。アイドル歌手枠(当店認定基準)で展示されていたのは山口百恵さん(7点)と小泉今日子さん(4点)のみでした。ちなみに、モノクローム写真が多くを占めていた中でこの2人はカラー写真でした。奈保子さんは写真展のコンセプトに合わなかったんですかねえ。被写体としてはピカイチだと思うのですが。まあ、もともと期待はせずに観に行ったので、ああやっぱりという感じでもありますが(^^;

 写真展の構成は1Fがポートレート、2Fが過去の写真集からのピックアップやスナップ写真でしたが、2Fのほうが面白かったです。プロの写真家はこんな撮り方をするんだ、みたいなのがあったりして。瞳のアップ写真があって何かなと思ったら、その瞳に人物が反射して写ってるとか。写真を勉強中の方にはよい写真展かもしれません。

 余談ですが、展示の最初のほうにプロフィールや生い立ちのようなことが書いてあって、それによると高校時代はよく映画館に通い映写中のスクリーンを写真に撮りまくってたとか。(その写真も展示されてました・笑) 今なら思いっきり違法行為でつまみ出されるところでしょうが、当時はおおらかだったんですかねえ。。。あ、写真展の会場内はしっかり撮影禁止でした。ご自分の作品は撮られたくないようです(^^;

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2019年4月30日 (火)

「へそまがり日本美術」展を観る

 東京の府中市美術館で開催中の「へそまがり日本美術」が静かな話題のようです。ん?静かなら話題ではないか(微笑)。私も前期展示の時に観てきましたが、今までに無い面白さの展覧会でした。

 どんな展覧会なのかは公式サイトを見てもらうのが一番ですが、一見なんじゃこりゃ、みたいな絵が大集合。サブタイトル「禅画からヘタウマまで」のとおり、展示されていたのは禅画が多かったです。禅の世界は言葉で伝えにくく、絵を描いて伝えようとした禅師が多かった由。禅問答というぐらいで常人には?と思うような摩訶不思議な絵が並んでいて面白かったです。

 本当は絵が上手いのに、あえてヘタウマに描いているものも。近年人気沸騰の伊藤若冲といえば細密な総天然色の鶏の絵が有名ですが、伏見人形をゆるーいタッチで描いているのを見るとほっこりします。

 他にもいろいろありますが、一番の衝撃(笑撃?)は殿様の描いた絵。 徳川将軍家にはお抱えの狩野派絵師が出入りして絵の手ほどきもしていたらしいのですが、展示されている徳川家光、徳川家綱の絵は狩野派とは無縁のタッチの絵。なんでこうなっちゃったの?(笑)
 でも、例えば家光の描いた兎の絵(公式サイトでどうぞ)をよく見ると、体毛のふわふわ感を出そうとしていることは伝わってきます。家光なりのリアリティを追求していたのかもしれなですね。

 楽しい内容で気楽に見られて700円はお買い得な展覧会です。後期展示の会期も残り少ないですが、大型連休に如何ですか。


 へそまがりといえば、2019年4月30日にこのような記事を出したり、また世の大勢に迎合せず80年デビューのあの方ではなく河合奈保子さんを、そして昨年のNHK紅白歌合戦に豪華すぎるミュージシャンとともに出演して話題になった女性シンガーソングライターではなく尾崎亜美さんを敬愛する私自身も、世間から見ればへそまがりなのかもしれないですね。ただし両人の歌唱や音楽はヘタウマなどではなく、伊藤若冲のようにピカイチの実力派です。

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2019年1月27日 (日)

すごいニッポン、すごくないニッポン

 東京・上野の国立科学博物館で開催されている企画展「日本を変えた千の技術博」に行ってきました。明治150年記念と銘打たれ、日本が作りだしてきた「すごいもの」が所狭しと並んでいます。

 展示は多岐にわたるのですが、ラジオ好きの私としては無線通信関係を少しだけ紹介。

Tyk

 これは何かというと「TYK式無線.電話機」で、世界で最初に実用化された無線電話とされています。離島と本土の間の電話として利用されたそうです。なにがすごいって、完成したのが1914年。この頃はまだ真空管が誕生しておらず、無線通信といえばマルコーニ以来の火花式送信機で電信(トン・ツー)という時代です。2年前にかの有名なタイタニック号遭難事故があったといえば、どんな時代かわかろうというもの。ただし、真空管なしのセットなので感度はかなり悪かった・・つまり聞こえにくかったみたいです。

Yagi

 こちらはみなさんご存じのテレビアンテナとして広く普及することになった八木宇田アンテナ。テレビアンテナといえば世界中どこに行ってもこのタイプです。おそらく日本の発明品でこれだけ人々の生活に目に触れる形で使われているものはないと思うのですが、このことを知らない人が大部分なんですよねえ。残念。
 そもそも、発明当時も日本では全く注目されず、1926年に得た特許権も消滅したのだとか。このアンテナの扱う周波数が超短波とか極超短波という当時まったく使われていなかった周波数帯だったためなんでしょうね。プロの通信が長波から中波どまり。短波は利用価値がないとされアマチュアが細々と使っていた時代に、先を行きすぎたのかもしれません。ところが欧米ではこのアンテナの特徴である鋭い指向性(一方向の電波だけを受発信する性能)が注目され、第二次大戦のときレーダーのアンテナとして使われます。日本軍が英軍から捕獲したレーダーにYAGI arraysとあるのを見て「これは何だ」と捕虜に尋問したところ「あなたは日本人なのにYAGIを知らないのか」と驚かれたとか。

 もう一つ
Magn
 これはマグネトロンという真空管の一種(1927年)。極超短波の電波を安定的に作り出すことができるもので、世界に先駆けて成功したそうです。展示品のそばには「マグネトロンなくして電子レンジなし!」というキャッチコピーが添えられていたのですが、これ、第二次大戦のときにレーダーの心臓部として使われたのです。つまり、日本はレーダーの核となる技術をを2つもいち早く手にしていたのに、敗戦までに実用的なレーダーとして完成することはなかったという。。。すごくないニッポン。

 もちろん、すごいものも数多くありますが、一方ですごくないこともあるるわけで、歴史は冷静に見るものだなあとつくづく思った企画展でした。

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2018年11月 7日 (水)

深刻化?京都の市バス事情

 ここ1週間ぐらいの間、ツイッターを見ているとタイムラインに京都の「地下鉄・バス一日券」のプロモーションが頻繁に現れていました。誘導された先はこちら。専用サイトですが京都市交通局の公式ですね。

 これを見ていて「ああ、なるほどね」と思いました。京都が一番賑わう紅葉シーズンを前にして、観光客を少しでも市バスから地下鉄にシフトさせたいということなんだなと。プッシュしているのは「地下鉄・バス一日乗車券」。観光客に大人気の「バス一日券」ではないのです。

 近年、京都の市バスは混雑ぶりが問題視されるようになっています。その大きな要因は外国人観光客の増加だとされています。マイカーという選択肢がない外国人観光客の移動手段は必然的に公共交通となるるわけで、安くて便利なバス一日券で観光スポットを回るのが定番化しているようです。加えて大きなスーツケースを抱えて乗り込む人も多く、車内混雑に拍車をかけているとか。そして、バス一日券を買ってしまうと、当然地下鉄で行けるところも「もったいないからバスで行こう」という心理になりますよね。市バスの全ての系統が混雑しているわけではないですが、「観光公害」などと言われるようにもなってきているようです。
(参考:京都新聞 訪日客増で「観光公害」初の調査 交通混雑、民泊トラブルも

 そういう状況から、バスの混雑緩和のため地下鉄へ乗客を振り向けたいという流れになっています。2018年3月に、バス一日券を500円から600円に値上げする一方で、地下鉄にも乗れる京都観光一日乗車券は地下鉄・バス一日券にリニューアルされ1200円から900円に値下げされました。価格差が700円から300円に縮まったので、確かに手を伸ばしやすくなりました。

 ただ、これで地下鉄へのシフトが進むかというと、個人的には「うーん・・・」という感じです。そもそも地下鉄で行けるメジャーな観光スポットが少ないからです。平安神宮、南禅寺、知恩院、二条城、京都御所ぐらいでしょうか。それ以外の観光スポットは結局バスでないとアプローチしにくい。。。。交通局の思惑としては、地下鉄で行けるところまで行って、バスに乗り換えて下さいということだと思いますが、地理不案内な観光客にはちょいとハードルが高いなあと。バスなら大抵のところに乗り換え無しで行けて、値上げされたとはいえ3回乗れば元が取れるバス一日券もあるので、魅力はそうそう下がらないかと。

 ただし!紅葉シーズンの主要なバス系統は、満員で乗れない、ダイヤが乱れまくっていつ来るか分からない、という事態が頻発するので、できるだけ鉄道を利用して移動することを強く勧めたいです。運賃は高く付きますが、移動に時間を取られて見所が回りきれなかったりじっくり見られないようではかえってもったいないですから。

 京都は観光都市である一方で150万人が暮らす大都市です。観光と市民生活がうまく折り合いをつけて共存できるといいのですが。。ちょうど40年前に全廃してしまった市電が、少しでも残っていたらまた違ったんでしょうけどねえ。。

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2018年9月30日 (日)

神戸市電に逢いに行く

 先週末のことになりますが、9月24日は神戸市交通局の「交通フェスティバル」へ行ってきました。場所は神戸市営地下鉄の名谷車両基地。地下鉄といっても西神線は地上区間が多く、名谷駅も車両基地も地上にあります。

 地下鉄の車両基地なのでイベントのメインは地下鉄車両の運転台公開とか工場の公開だったりするわけですが、私が目ざしたのは一角にある神戸市電の保存庫です。神戸市電から広島電鉄に移籍した車両に乗ったことはありますが、オリジナルの保存車両を見るのは初めて。

 ここに保存されているのは戦前製の2両。
 まずは700形

Kobe7001
 製造初年が1935年(昭10)。丸みを帯びた正面に大ぶりの窓など優美な車体です。


Kobe7002
 こちらが車内。路面電車なのになんとオールクロスシートです。前後の扉に近い場所は一人掛け、中央部は二人掛け。二人掛け部分にはつり手がありませんね。

Kobe7003
 照明もしゃれていますね。吊り手はリコ式といって琺瑯製のものがバネで斜めに跳ね上げられています。使用時はつかんで手前に引きます。

Kobe7004
 座席です。ただのクロスシートではなく、転換クロスシート。背ずりをバタンと倒すことで前後どちら向きにもできます。(動かせないようにバンドで固定されていましたが)
 この二人掛けシートを当時「ロマンスシート」と称したそうで、700形はロマンスカーと呼ばれたそうです。今ロマンスカーといえば関東の小田急電鉄の特急車両になりますが、実はロマンスカーという呼び方は関西に先にあったのです。(神戸市電より先、1927年に京阪電車に登場した急行用の転換クロスシート装備車両がロマンスカーの先駆け)


 もう1両は800形。

Kobe8001_2
 こちらも車体も700形と同じような優美な姿です。柱に邪魔されて見えませんが700形よりも大型で中央にも扉があります。

Kobe8002
 車内は700形とは違いオーソドックスなロングシート。吊り手も一般的なものですね。製造初年が1937年(昭12)で、すでに日中戦争が始まるなど戦時色が濃くなっていくなか、ロマンスシートなどと言ってられない状況だったのでしょう。

 神戸っ子が「東洋一の路面電車」と自慢したという神戸市電の車両がこうしてきれいに残されていて、常時ではなくとも公開して頂けるのは嬉しい限りです。屋外展示だとどうしても痛んでしまいますからね。きょう9月30日で全線廃止から40年の京都市電は、未公開のまま大切に保管してきた保存車両を4年前に屋外展示に出してしまいましたからねえ。。。(→こちらを参考にどうぞ

この先、きちんと手入れがされれば良いのですが。

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