2025年1月17日 (金)

震災30年

 きょう1月17日は阪神淡路大震災から30年でした。ここ数年、メディアでの取り上げが減っているように感じていましたが、今年は30年の「節目」ということもあってか、きょうを迎える前から連日、メディアで積極的に取り上げられていました。能登半島地震から1年ということもあるのかもしれません。発災時刻に放送されていたラジオ関西(兵庫・558kHz)の特別番組「阪神・淡路大震災30年 神戸からの祈り」をradikoタイムフリーで聴きましたが、インタビューに応じていた方が記憶の継承について「31年、32年になったときが大切」といったことをおっしゃってました。今年はこうして大きく取り上げられていたけれど、その先も語り継いでいかなければならないということです。新聞報道によると「30年の壁」という言葉もあるそうです。30年経つと体験者も少なくなり語り継ぐのが難しくなってくるということです。それを意識してか先の特番では次の語り継ぎを担う若い世代の出演が目立ちました。またアナウンサーは「この国では災害から逃れられない」ということも強調していました。阪神淡路大震災が起こる前、漠然と「関西は地震が少ない」などと言われていたものです。しかし突然あの烈震に襲われた。。。東海地震、あるいは南海トラフ地震の30年以内の発生確率がどうのと言われ続けていたのに、東日本大震災、中越地震、北海道胆振地震、熊本地震、そして能登半島地震などなど、それ以外の地域で大きな地震が起きています。いつどこで起こるかわからない。。。だから、これまでにあった震災の記憶と教訓を、自分事として受け止めて、できることをしていくのが大切なのではと感じます。この30年、耐震化などの事前の備えや被災者支援など進化したところもありますが、避難所の状況など相変わらずのこともあります。できるだけ教訓を生かせる社会でありたいです。

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2024年12月21日 (土)

うーん、違ったか

 12月20日の夜にNHK総合テレビジョンで放送された「安全地帯・零ZERO-旭川の奇跡-」をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか。事前の告知で、安全地帯という名の由来についても触れるということだったので興味を持って見ていたのですが、メンバーから明かされたのは、バイクの教習本を見ていて交通標識の「安全地帯」に目が留まり決めた、というものでした。
 ありゃー。ネットの情報で安全地帯が交通標識に由来するということは知っていたのですが、私はてっきり、地元旭川を走っていた日本最北の路面電車、旭川電気軌道の停留場にあったのではと思われる安全地帯の標識を見てのことかと想像していました。きっかけが教習本だったとは。。。まあだからどうというわけでもないのですが、バンド(当初はフォークバンドだったようですね)と路面電車の取り合わせは面白いなあと思っていたので。。。いちおう、旭川電気軌道の軌道線が全線廃止になるのが1972年の大晦日、中学生のアマチュアバンドとしての安全地帯の結成が1972年ですから、年代的には合います。

 となると、地元では郊外電車と呼ばれていて、路面電車とはいえ車両にはステップがなく高いホームから乗降していた旭川電気軌道の停留場にはやはり安全地帯の標識はなかったのかな。。。廃止から50年以上、もはや確かめるすべがありません(^^;

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2024年12月 8日 (日)

開戦83年

 きょう12月8日は日本が米英と開戦して83年の日でした。8月15日と比べるとメディアでの取り上げが圧倒的に少ないのはなんでだろう、と毎年思います。安保法制の制定、集団的自衛権行使容認、敵基地攻撃能力の保有方針など「戦える国」への改造がひたひたと進む今こそ、12月8日を顧みることが大切なのではないかと思います。

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2024年11月 5日 (火)

原点は文化の日

 この週末の連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。今年は11月3日の文化の日が日曜に当たり翌4日が振替休日になりました。多くの祝日がハッピーマンデー制で第●週月曜という形に移行してしまい、その年の暦によって連休になったり飛び石になったりというケースが少なくなりました。年によって休日の並びが変わるというのも、これはこれでいいんじゃないかと思ったりしますが、如何でしょうか。

 さて文化の日の3日は日本国憲法の公布日でもあります。というか文化の日の制定の由来のひとつとされています。この日、東京新聞は次の社説を載せました。

 憲法公布の日に考える 「帰るべき日」はありや

 日本が道に迷ったときに帰るべき日は1946年11月3日であると説いています。社説といっても通常のスタイルと異なり、戦後の昭和天皇のいわゆる人間宣言や明治維新での明治天皇の五箇条の御誓文などのエピソードを散りばめて親しみやすい文体で書かれていますので、ぜひお読みいただきたいと思います。好きな音楽が自由に楽しめる世が続くよう、私は社説に賛同します。

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2024年8月15日 (木)

終戦の日

 きょう8月15日は終戦の日、敗戦忌でした。政府主催の式典をラジオ中継で聴きましたが、退陣を表明した内閣総理大臣は戦争の惨禍を繰り返さないとは言うものの、先の戦争を始めたことに対して何か言うことはないのか、とつい思ってしまいました。もし事故なら起こした当事者が被害者に謝罪するものです。追い込まれた末の開戦だったという説がありますが、では追い込まれた原因は誰が作ったのか。。。

1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1914年 第一次世界大戦(対独戦)
1918年 シベリア出兵
1931年 満州事変
1937年 日中戦争
1941年 太平洋戦争

 日本は明治維新のあと、1945年の敗戦まで対外戦争に明け暮れています。誰が何のために始めてどういう結果をもたらしたのか、しっかり捉えることこそが教訓となり平和につながるのではないのかなと思う次第です。好きな音楽を自由に聴いたり演奏できたりするのも平和なればこそ。そんな世を続けたいじゃないですか。

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2024年8月 9日 (金)

長崎原爆の日

 きょう8月9日は長崎原爆忌でした。放送協会の平和祈念式典中継を録画で見ましたが、司会をはじめ若者が多く参加しているように見えました。「語り継ぐ」ことを念頭においた取り組みなのかなと思いました。直接被爆をした人はやがて鬼籍に入り、被爆2世もいずれは、、、となればバトンを渡していくしかないわけで。。。世界の各地で現に戦争が起きたり緊張が高まったりして、核の使用をちらつかせるような動きまである今こそ、被爆の実相が伝わらなければと思わずにいられません。人道にもとる兵器なのですから、先に攻めたほうであろうが攻め込まれたほうであろうが、使用することはあってはなりません。核兵器廃絶に向け大きく舵を切るべきだと訴えた長崎市の平和宣言に賛同します。

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2024年8月 6日 (火)

広島原爆の日

 きょう8月6日は広島原爆忌でした。

 昨年に続いて、東京新聞の社説を紹介します。

 原爆忌に考える 「語り継ぐ人」になる

 語り継ぐことの大切さを訴えていますが、その中で紹介された、このたび出版された歌集「ひろしまに想う」の巻末に載っているという作者の言葉が重いです。

『平和』はね、じっと待っていても、自分から来てくれるものではないからね。力を尽くして、引き寄せ、つかみ取り、離してはいけないもの。みんなで必死に守らないと、すぐに逃げてしまうのよ。」

 そのために個人で何ができるかというと戸惑ってしまうけど、まずは語りに耳を傾けたいです。この歌集、広島選出を売りにしながら式典あいさつで核禁条約に一切触れなかった内閣総理大臣が手に取ることはあるのでしょうか・・・なんてことも考えます。

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2024年6月23日 (日)

沖縄を再び戦場にしない

 きょう6月23日は沖縄慰霊の日。1945年、旧日本軍による組織的な戦闘が終わった日、とされています。第32軍・牛島司令官が自決したことをもって組織的戦闘の終了とされますが、自決した日は22日だったという証言もあるそうで、このあたりは諸説あるようです。そもそも、軍の現地責任者が明瞭に戦闘終結を宣言していないのですから、日付にゆらぎが出るのも当然かと思います。

 首都圏ブロック紙の東京新聞は日曜の社説「週のはじめに考える」で沖縄戦とその後の沖縄の状況を取り上げました。

 「沖縄を再び戦場にしない

 あえて沖縄の県紙である琉球新報・沖縄タイムスではなく東京新聞を紹介したのは、このことは沖縄だけの問題ではなく、沖縄の外から考えることも大事ではないか、ということによります。ぜひお読みいただければと思います。この記事のタイトルも社説に合わせました。

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2024年3月10日 (日)

被災79周年・東京大空襲

 きょう3月10日は東京の下町一帯を焼き尽くし死者10万人と言われる東京大空襲から79年の日。東京・浅草に用事があったので、浅草公会堂でこの時期に毎年開催されている市民団体主催の「東京大空襲資料展」に立ち寄りました。解説のパネル展示とともに戦時下の市民生活や学童疎開の様子がわかる実物の資料、焼夷弾、緒戦の勝利に沸いていたころや空襲後の惨状の写真、罹災者の描いた絵などが展示されていましたが、やはり写真や絵が目を引きます。展示スペースは人でごった返していました。

 東京大空襲は軍事施設ではなく住宅や町工場が立ち並ぶ地区を標的としており、非戦闘員を狙ったものであることは明らかでしょう。それは、いまパレスチナ・ガザ地区で起きている紛争と私には重なって見えます。イスラエルの後ろ盾である米国がガザで起きている人道問題を指摘しつつも強い態度に出ないのは、米国もかつて日本に対して同じようなことをしていたからではないか、などと思ったりするのは考えすぎでしょうか。

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2024年1月17日 (水)

阪神淡路大震災の教訓

 きょう1月17日は阪神淡路大震災から29年の日です。毎年この日は何かしら震災のことをここに綴っていますが、今年はとても複雑な気持ちで迎えました。元日に発生した能登半島地震の報道で見る被害の状況が阪神淡路大震災を彷彿とさせるものだったからです。二階建ての木造家屋の一階がぺちゃんこになっている様子は、阪神淡路での典型的な被害でした。報道によれば、地震の揺れの周期に木造家屋に被害を与える成分が多かったそうで、それが阪神淡路に似ていたといいます。

 実は最近、とあるきっかけで防災関連の講演を聴きました。その講師にNHKの記者出身の方がいて「マスコミは震災の本当の教訓を伝えていない」と自戒を込めて話していました。いわく、阪神淡路では大火災や阪神高速道路の倒壊などを大きく取り上げていたが、そこでの死者はそれほど多くない。死者の8割はニュースではあまり映らない住宅の倒壊による圧死や窒息死であり、倒壊家屋の多くは1981年以前の旧耐震基準であったと。そして震災での行政や国の対応を問う番組は多く作られたが、旧耐震の家屋に住んでいた人が犠牲になったということは大きくとりあげなかった。なぜか。それは「死者に鞭打つ」と遺族に受け取られることを恐れたからだ、と。そして本当の教訓は、死者を減らすには住宅の耐震化(新耐震基準にによる建替え又は補強)がなんとしても必要だということでした。

 そんな話を聴いた後に起きたのが能登半島地震で、死者の多くは古い住宅の倒壊によるとみられるとの報道に接し「繰り返されてる・・」と思ってしまったのでした。教訓を生かすことの大切さをこんな形で認識するのは切ないです。もちろん、新耐震の家屋なら絶対倒壊しないとは言えず、実際に倒壊例はありますが、倒壊率は旧耐震に比べれば大きく下がります。リスクを減らすという観点で住宅の耐震化がクローズアップされることを願います。

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