2026年3月10日 (火)

被災81周年

 明日11日は東日本大震災から15年になりますが、その前のきょう10日は東京大空襲から81年の日でした。米軍の無差別攻撃により非戦闘員約10万人が一夜にして犠牲となる大虐殺のあった日は、節目の年でなくても素通りできません。

 今年も週末に、毎年この時期に東京・浅草公会堂で開催されている「東京大空襲資料展」を見てきました。昨年は被災80周年で展示写真が例年より充実していましたが、今年は例年に戻ったようでした。戦時下の茶の間の再現コーナーが復活していなかったぶん、被災の実相を知らしめる写真が比較的ゆったりと展示されていて、見やすくなったと言えるかもしれません。土曜日の午後、来訪者は途切れることなく入場していましたが、すぐ近くの仲見世や浅草寺のにぎわいと比べてしまうと、もっと多くの方に見てもらえたらと思います。

 資料展に出る資料はだいたい決まったものですが、あたらめて気づくこともあったりします。展示してあった当局発行の本に書かれていた「重要都市の疎開について」という内容がなかなか。疎開の真義は何かを説いているのですが、いわく「老人だとか子供だとか、或いは妊産婦等が多数いるということは、混乱を来すだけであって防衛体制の上からいうと弱いのです」「戦時下の食糧問題を考えて見ると、成るべく足手纏いになる者は少なくして、そういう人々を食糧の豊かな農村地帯に分散疎開して置くということが、防衛上から見ても食糧対策の上から見ても必要なのです」 そこには国民の生命を守るという発想は見えません。民間人の空襲被害者の補償をかたくなに拒む政府・自民党が、いっぽうで「国民の命を守り抜く」などとなにかにつけ言ってますが、過去を踏まえると果たして信用できるのかと思います。

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2026年1月17日 (土)

震災31年

 きょう1月17日は阪神淡路大震災から31年の日でした。昨年は30年の節目でメディアの露出が多かったですが、今年はめっきり減りました。首都圏では放送協会さえテレビジョンでの特集はなし。定時番組内ではとりあげてはいますが。。。。報道によると被災地の追悼行事も過去最低の37件だそうで、近年は記憶の継承が課題と言われ続けていますが、メディアも含め現実は厳しいようです。

 そんな中でも記憶をつないでいく話はあります。radikoのタイムフリーでラジオ関西(神戸558kHz)の特別番組「阪神淡路大震災1.17のつどい中継」を聞きましたが、震災当日に生まれた方がゲストに招かれていました。震災のことは直接記憶にないものの、忘れてはいけないという思いで子どもたちに伝えていると話していました。つどいに若い方が増えたというレポートもありました。

 地震の災害には地域ごとに違いがあり、阪神淡路には阪神淡路の教訓があります。南海トラフや首都直下の30年発生確率が何%とか言われますが、現実にはそういった注目されている場所以外での大地震が続いており、どこで起きてもおかしくないと言われます。明日は我が身で、大切にしなければならないと思います。

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2025年12月 8日 (月)

開戦から84年

 きょう12月8日は米英と開戦してから84年の日でした。今年は戦後80年として8月を中心にアジア太平洋戦争をメディアが大きくとりあげましたが、きょうは拍子抜けするほどに扱いがない。。。8月15日がなぜあるかといえば、それははじまりの12月8日があったからで、そこを素通りするのはいかがなものかと思う次第です。戦争は誰が何のために始めたのか、どうして止められなかったのか、煽ったのは誰なのかはきちんと問いかけねば、また同じことが起こる気がします。その先に起きるうることは、書くまでもないでしょう。

 きょうの東京新聞社説は、そんなことを考える手がかりのひとつになるかもしれません。

 開戦の日に考える 「反軍演説」抹殺の先に

 石破前首相が10月に発表した所感をコンパクトにまとめたような感じですが、最後の一文に深く共感します。勇ましいことを言う人に限って責任は取らないものです。

 

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2025年8月15日 (金)

敗戦忌・終戦80年

 きょう8月15日は、いわゆる終戦の日から80年でした。

 きょうの東京新聞の社説では、終戦時の首相であった鈴木貫太郎の終戦までの道のりを紹介して戦争を終わらせることの難しさを説き、だから戦争は始めてはならないと結んでいます。

 <社説>終戦の日に考える 戦い終わらせる難しさ

 まさにこれに尽きると思います。海軍の出身だった鈴木貫太郎が新憲法案で戦争放棄の9条に敬意を表していたという話は初めて知りました。「戦後80年」と言われますが、いつまでも戦後であり続けるようにしていかなければなりませんね。

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2025年8月 9日 (土)

被爆80年・長崎

 きょう8月9日は長崎原爆忌。被爆から80年でした。

 きょうは休みでしたので、平和祈念式典の模様をテレビジョンでリアルタイム視聴し、米軍の投下時刻に黙祷しました。そのあとに長崎市長の読み上げた平和宣言は、大変にインパクトのあるものでした。冒頭、今すぐ武力の争いをやめてくださいという叫びには強い危機感がこもっていました。確かにそうです。核兵器は戦争で使われるのですから、まず戦争を止めねばなりません。そして、NPT(核兵器不拡散条約)で核廃絶の具体的な道筋を示すことは、もはや先送りが許されないと訴えています。日本政府は核保有国が参加していないことを言い訳に核兵器禁止条約に背を向け、何かといえばNPTでの取り組みが大事と言い続けてるのですから、何が何でも成果を出してもらいたいものですね。

 長崎の平和宣言は市民も加わった起草委員が議論して練り上げていると聞いています。市民の強い危機感・切迫感が、全般に緊張感のある平和宣言になったのだろうと理解しました。平和宣言の全文は長崎市の公式サイトで読むことができますが、ぜひ式典での音声を聴いてもらいたいです。NHKラジオのらじる☆らじるで聴くことができます。8月16日11:45まで聴取可能です。

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2025年8月 6日 (水)

被爆80年・広島

 きょう8月6日は広島原爆忌でした。

 今年の平和記念式典での首相のあいさつは、ここしばらくのものとは違い、自分の言葉で作られたと感じられるものでした。しかし、広島市長の読み上げた平和宣言や被爆者の願いである核兵器禁止条約の批准や締約国会議へのオブザーバー参加に対しては完全スルー。80年の節目でありながら何も姿勢が変わらないことにもやもやが募るものでした。日本政府が重視するNPT(核兵器不拡散条約)の求める核軍縮が結果を出せていればいいのですが、そうではないのですから。

 それよりも、核抑止論に関して、抑止とはフィクションであると喝破した広島県知事のあいさつに共感できました。抑止とは破られるものだとして、その実例のひとつに、圧倒的戦力差がありながら太平洋戦争の開戦に踏み切った日本を挙げていました。これほどわかりやすい説明はありません。ぜひ、あいさつ全文を見ていただければと思います。広島県の公式サイトに掲載されています。

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2025年6月23日 (月)

沖縄慰霊の日

 6月23日は、先の大戦で沖縄での組織的な戦闘が終了したとされる日から80年でした。沖縄戦や、その実相を伝えようとする取り組みに対して事実に即さない思い込みによる自説を公然と振りまき反省の色もない国政与党国会議員まで登場するようになった今、どのように実相を伝えていくかということはますます重要になっていると思います。本来ならメディアが奮起して欲しいところですが関東の放送メディアでは放送協会が沖縄全戦没者追悼式の中継をしたぐらいでこれといった特番もない状況。折しも22日投開票の東京都議会選挙では国粋主義的・復古的な主張を掲げる右派が伸長する結果となり、海外に目を転じれば先制攻撃を平気で仕掛ける国々が。。。改めて平和を考える日にしたいです。好きな音楽や芝居を自由に楽しめる世の中が続くために。

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2025年5月28日 (水)

今さらLFJ2025を振り返る(3)

 「Memoires・音楽の時空旅行」をテーマに開催されたクラシック音楽フェス「ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2025」を今さら振り返るシリーズ3回目です。公演番号は公式サイトと照合ください。

3日目(5月5日)

◆地上広場キオスクステージ(19:15~)
 出演:アンサンブル・コノハ

 こちらは誰でも自由に聴ける無料公演です。屋外ですが気候が良い時期なのでそれもまた心地よかったりします。予備知識なしで聴きましたが、まずはいきなりピアノ演奏のみで「ジュ・トゥ・ブ」「愛の賛歌」とシャンソン2連発!そのあとも声楽(こちらがメイン)が入って「オー・シャンゼリゼ」「私の好きなもの」とシャンソン寄りな曲が。ここでシャンソンが聴けるとは思いませんでした。昨年も綴りましたが、LFJはフランス発のフェスなのにシャンソンは本公演で取り上げないんですよね。。。今年のようにジャズは割と取り上げるんですが。他にはスメタナの交響詩「我が祖国」からモルダウなどポピュラーなクラシックなどを声楽で。心地よい声に癒されました。

◆公演315 アメリカ仕込みのアーティストたちが奏でる、ニューヨークの「生」

 21:00開演のファイナルコンサートです。クラシックフェスでありながらここにジャズ寄りの曲をプログラムしたところがLFJらしいところ。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。そこに曲ごとに多彩な顔触れが加わっての演奏でした。1曲目のガーシュウィン「ピアノ協奏曲へ調」は山中千尋さん(ピアノ)、大井澄東さん(ベース)、山本裕之さん(ベース)が共演。通常は楽章の終わりでは拍手しないクラシックですが1楽章の終わりで拍手が沸き起こるくらい熱演で盛り上がりました。2曲目のワクスマン「アルテミスの夢」はプログラム解説書によると管弦楽版は日本初演とのこと。各楽章の演奏に入る前に前説的な朗読があったり、共演のエリプソス四重奏団(サックス)が宇宙服のようないでたちで入場してきたり(演奏に入る前に取りました)仕掛けが多く、コンテンポラリーの曲なので独特の世界観が楽しめました。で、ここまでで演奏予定時間の80分を使い切り、3曲目は延長戦に(^^; ラストはおなじみガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ここで共演したのはフランスのジャズトリオであるポールレイ・トリオ。通常はピアノが途中のカデンツァを弾くところ、ベースとドラムもカデンツァに参加し、そこだけ聴くと完全にジャズでした。そして驚くことに途中、今度はオーケストラのほうがカデンツァ的にジャズ寄りの演奏をするところがあり、なかなかに斬新な「ラプソディ・イン・ブルー」でした。熱演で演奏が終わったのはなんと22:55頃。カーテンコールもそこそこに客電が点いて退場モードになり余韻が無かったのが少々残念でした。ここまで予定時間より遅くなれば帰宅の足が気になるので致し方ないですが、もう少し早く終わっていればカーテンコールが盛り上がり音楽監督のルネ・マルタン氏も登場したのではないかと思います。とはいえLFJが始まった頃の売りは「朝から終電まで」だったので、久しぶりのその感覚が味わえたという点で個人的には悪い気はしなかったです。新型コロナ禍での中断から再開を経て早じまいになっていたので。。。

○おわりに
 今年は夜間の有料公演を中心に聴きましたが、昼間も周辺エリアの無料公演などをいくつか聴き、年に1度のクラシックのシャワーを楽しむことが出来ました。もう少しかつてのような「お祭り感」があるといいなと思うのですが、まずはクラシックが気軽に聴ける場が続くことがなにより。来年も開催されることを楽しみにしています。

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2025年3月22日 (土)

ラジオ放送100年

 きょう3月22日は日本でラジオ放送が始まったとされる日から100年でした。今年は昭和100年とも言われますが、ラジオ放送の開始は大正14年、昭和のほうは数え年なので元号が合いませんね。

 以前にも綴ったとおり1925年3月22日は社団法人東京放送局が「仮放送」を始めた日。東京・芝の愛宕山に建設中の局舎は完成しておらず、東京・芝浦にあった東京高等工芸学校を間借りして送信機も借り物で用意した仮設の放送局からの放送だったといいます。そんな仮設の放送局からの放送を急いだのも、大阪放送局が東京に先んじて放送を始めるらしいという情報に反応したためといいます。東京が大阪に遅れてなるものかというメンツのためなので、ちょっとモヤモヤするところはあります。

 1923年の関東大震災で新聞社が被災して機能せずデマが広まったことがラジオの待望論を生んだされていますが、その後ラジオは「大本営発表」という官製フェイクニュースを垂れ流すことになったのは皮肉というほかありませんでした。(ただ、これは通信社も新聞社も同じであり、ラジオだけが責めを負うものではありません。)

 そして今、ラジオを含む既存メディアは「オールドメディア」と揶揄される一方で、SNSという「新しいメディア」によってデマの広がりはより早く大きくなっているというのもまた皮肉なものです。こんな時代だからこそ、オールドメディアという揶揄に負けず「政府から独立し、取材に基づきウラをとった正しい情報」を出す努力をしていただきたいと思います。

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2025年3月10日 (月)

被災80周年・東京大空襲

 きょう3月10日は東京大空襲から80年の日でした。節目の年とあって、例年よりもメディアで取り上げられる量が多めに感じます。しかし、8月の原爆忌や終戦の日、あるいは6月の沖縄慰霊の日などに比べれば圧倒的に少ないと感じます。わずか数時間で民間人10万人が虐殺された空襲です。その非人道性からも空襲の実相を伝承していくことが大切だと感じます。

19459310 今年も浅草公会堂での「東京大空襲資料展」を週末に訪れました。被災80周年ということで、例年の展示にあった戦時下の茶の間の再現コーナーを外した代わりに、空襲の実相がわかる記録写真の展示が増量されていました。浅草寺が所蔵していたという、空襲後の浅草寺の境内などですが、石の土台しか残っていない本堂・鐘楼や、火災に耐えて残ったご神木の大銀杏など、今と対比できる場所の写真を見ると具体的にイメージしやすかったです。そして、松屋デパート(東武浅草駅)を背に隅田公園内に広がる犠牲者の仮埋葬地。おそらく被災から数年後の写真と思われますが、遺体こそ写っていませんがその無数の墓標は衝撃的でした。(警視庁カメラマン石川光陽氏の撮影した遺体の写っている記録写真も例年どおりありました) これらの写真はすべて空襲後に撮影されたもので、空襲の最中の写真はありません。それを補っているのが空襲被害者の記憶に基づく絵画で、添えられたキャプションと合わせて見るといかに凄惨だったか伝わってきます。

 資料展は、ただ被害状況だけを並べているのではなく、東京大空襲に至るまでに日本が何をしてきたかを柳条湖事件(1931年)からの年表で表し、国が国民に対し何をしてきたかも展示しています。1943年に内務省が発行した「時局防空必携」には5か条からなる“防空必勝の誓い”が掲載されていますが、その一は「私達は『御国を守る戦士』です。命を投げ出して持場を守ります。」とあります。これ、戦士となってますが兵士ではなくて一般市民向けです。こういった「指導」と、逃げるな火を消せを義務付けた「防空法」が空襲の犠牲を大きくしたのは間違いありません。一方で、軍人・軍属には恩給が支給されながら民間人には何の補償もなく、超党派で準備しているという民間空襲被害者の救済法案は政府・自民党の反対で未だ国会提出にすら至っていない状況です。戦後80年、軍拡をやる前にやるべきことがあるのではないでしょうか。

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