2019年12月10日 (火)

1937年はどんな年だったのか

 先月観劇した扉座公演「最後の伝令~菊谷栄物語」は1937年(昭和12年)が舞台でした。エノケン一座の座付き作家が召集され、あっけなく中国で戦死してしまった実在の人物をモチーフにした芝居でしたが、そもそも1937年とはどんな年だったのか、自分でもすこし調べてみました。

 作品を書いた扉座の横内謙介さんはブログで「作品の事前検閲は激化し、すでに思想統制は始まっていて、菊谷も言葉狩りに遭って、苦労したようだが、ジャズの演奏や横文字そのものは、普通に使うことが出来たのである」と解説しています。確かに、前年には1940年オリンピック東京大会の開催が決定していたわけですから、この時点で外国文化を排斥するところまでは行ってないというのは分かる気がします。

 思想統制のほうはどうか。3月には防空法が成立し国民の防空訓練への参加を義務づけ。この防空法は後に改定を繰り返し、以前にも紹介したように戦争末期には都市からの退避禁止や空襲時の避難禁止(逃げるな火を消せ)というトンデモな内容が加わっていきます。7月に盧溝橋事件が発生し、日中戦争に発展すると、8月には近衛内閣が国民精神総動員実施要領を閣議決定。このあたりから思想統制が本格化したということでしょう。

 経済統制はどうか。10月に鉄鋼工作物築造許可規則が制定。鉄筋・鉄骨造の建築の制限が始まり、各地で建設途上あるいは計画中だった百貨店やオフィスビルが階数を低く設計変更したり、建設自体を中止するケースが多発していきます。翌38年になると、3月に綿糸・ガソリン・重油の切符販売制が始まり、4月には国家総動員法が成立。あらゆることが戦争優先になっていきます。そして、38年7月、1940年オリンピック東京大会の開催返上決定。

 芝居に描かれた菊谷栄の召集は9月。時系列と比べると、日中戦争は勃発したものの生活物資の統制はまだ始まる前、戦争もどこか遠くのことにように感じている人も多かった頃だったのだろうと思われます。まさに転換点のようなひとときを、描いた作品なのだなと。

 一昨日の12月8日は対米英戦開戦の日から78年でしたが、戦争はその前から始まっていたことも忘れてはならないことだと「最後の伝令」を観て思ったところです。あ、念のために付け加えておくと、「最後の伝令」は反戦芝居とかではありません。1937年を背景にした純粋なエンターテインメントです。ただ、私はそう感じたということで。

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2019年9月16日 (月)

伊集院光とラジオと生活情報と

 関東地方を中心に大きな被害の出た台風15号の襲来から1週間が経ちました。千葉県では今も多くの地域で停電が続き、全面復旧の見通しは9月27日と言われ、商用電源の停止に起因して断水や携帯電話網の不通もあり厳しい状況が続いています。

 この状況のなか、いささか旧聞ではありますが、9月12日のTBSラジオ「伊集院光とラジオと」では、伊集院さんが情報をどう届けるかということについてラジオパーソナリティーとしての思いを吐露していました。

『NHKテレビは字幕で給水とかの情報を出している。チバテレビも頑張っている。
でも停電になってるとテレビがなかなか見られない。

ネットはネットで頑張っているけど、スマホが充電できなくて困っている。

いよいよやんなきゃいけないのはラジオだったりするのかな、ラジオは電池で動くものも多いから。
でも現状全然できてないという情けない状況』

 番組オープニングで大体このようなことを話していました。「おまえが言うな」と言われそうなことをあえて話しているのを聴いて、本人も葛藤を抱えて番組を担当しているんだろうなと感じました。話はさらに、民放連が政府(総務省)に要望し、近頃認められた話に及びます。そのあとのニュース解説コーナーで。

『停電のときに情報を届けるのに電池で動く機器を持っている可能性の高いラジオは活躍の場だし、こういうときこそAMラジオの存在意義を見せなきゃいけないけど。
そんななかで、いまAMやめてFMにしようみたいな。
千葉みたいなところに隅々まで情報をいきわたらせようとしたときにAM波の価値は高いのだけれど、こういうことをどう想定しているんだろう。
こういうことを見て考え方を変えたりするんだろうか。
AMは遠くまで届く、FMは細かいところに届く(→鉄筋ビルやノイズの多い都市部のことを指していると思われる) 、そういうはずだったんだけど。』

 どちらもラジオへの愛にあふれる伊集院さんらしい発言だと思います。「災害時はラジオ」などとよく言われながら、いやラジオ局自身もそう言っていながら、こんなことで良いのかと。

 日本の民放AMラジオ局は殆どの地域では県単位のサービスエリアであるのに対し、東京の民放AMラジオ3局は関東一円をサービスエリアにしています。極端なことを言えば他都県の聴取者にとって千葉の給水、停電、スマホ充電、入浴サービスなどの「生活情報」は 直接的には不要な情報であることが生活情報の放送に後ろ向きになっているのかもしれません。またラジオで細かく読み上げていくのは大変なことでもあります。しかし、NHKラジオ第一は関東の周波数では時間を区切って全国向け放送に割り込む形で千葉の生活情報を流しています。昨15日のマラソン実況中継でも実況を中断して流してました。公共放送と民放は違うと言われればそうかもしれませんが、やってやれないことはないのです。民放が「災害時はラジオ」とのスタンスを今後も維持するのか、あるいは放棄するのか、まさに岐路に立っているように私には感じます。

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2019年9月 2日 (月)

防災の日に

 きのう9月1日は防災の日でした。関東大震災に由来するものですが、直接的な災害だけでなく、流言飛語のもたらす人災についても教訓としなければならないだろうと、今年は特に思います。前川喜平さんが東京新聞特報面「本音のコラム」の日曜日を担当していますが、9月1日のコラムは、こう結ばれていました。『九月一日は単なる防災の日ではない。大量虐殺という人災を繰り返さないための誓いの日でなければならないのだ』

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2019年8月15日 (木)

死に物狂いで

 きょう8月15日は、いわゆる終戦の日でした。

 8月6日に見た第18回ヒロシマ祭り第2部の会場ロビーに、これまで参加してきた各界の著名人からの色紙が展示されていましたが、その中にひときわ胸を衝くことばがありました。

 

 死に物狂いで 平和を。

 

 これを書いたのは仲代達矢さん。

 平和に似合わぬ「死」という文字。しかし死に物狂いで取り組まなければ平和は得られない。そんな危機感を感じる強いメッセージでした。きょう、改めて心に刻みたいと思います。好きな音楽が自由に楽しめるように。

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2019年8月 8日 (木)

第18回ヒロシマ祭り

 8月6日は尾崎亜美さん、小原礼さんが出演する第18回ヒロシマ祭りに参加しました。開催日、カタカナ書きの「ヒロシマ」、そして副題の「市民がつくる追悼と音楽の祈り」から、この企画が原爆の追悼と平和の願いであることが分かります。

 1部が朝8時15分からの追悼式。2部が夕方18:00からのコンサート。有料チケットの対象は2部ですが、私は1部の追悼式にも立ち会おうと、夜行バスと列車を乗り継いで平和記念公園へ。広島駅から乗った広電電車が途中の紙屋町で交通規制にひっかかって足止めを食らい、追悼式の会場へは微妙に間に合わず、8時15分は相生橋(原爆ドーム至近・米軍が投下目標にした橋)の上で迎え、そこで黙祷しました。その後会場へ移動し、途中から式に立ち会い。亜美さん、礼さんも参加してました。

 2部のコンサートの会場は広島文化学園HBGホール。2階席まである大きくて立派なホールです。2階席の状況は見てませんが1階席はほぼ埋まっていました。

 まずは地元出身の音楽家、山下雅也さん(sax)と富永やよいさん(pf)の演奏。配偶者だそうです。歌謡曲、ジャズ、タンゴ、クラシックなど幅広いジャンルを演奏。チャールダッシュはヴァイオリンの早弾きのイメージが強かったのでサックスの演奏というのが意外でしたし、客席に降りて練り歩いたりと愉快な方でした。客席も沸いてましたね。

 次に折り鶴合唱団。花を題材にしたオリジナルメドレーを披露。アマチュアですが綺麗なハーモニーでした。声楽家もいてオペラの一節を披露していたのでびっくり。最後に花とは関係なく広島カープの応援歌を歌ったのは広島らしいですね。

 休憩という名の舞台転換を挟んで、今回メインの亜美さんと礼さん。
 亜美さんはいつものソロコンサートよりも心持ちトーク多めで、曲の説明や自身の思いを語りながら、でもやっぱりいつものユルいトークも交えつつライブを進行してました。

<曲目>
1.My Song For You
2.マイ・ピュア・レディ
3.冥想
4.シーソー
5.私がいる
6.Smile
7.天使のウィンク
8.伝説の少女
9.オリビアを聴きながら

en1.明日に架ける橋
en2.スープ

 最近のライブの凝縮版といった曲目ですが、意外にも「冥想」は礼さんと二人だけでの演奏は初めてなんだとか。失敗したら忘れて下さいという前置きがありましたが、バッチリでした。またやっていただければと。
 アンコールでの「スープ」は「広島で歌うことに意味がある」と話していました。その思いは伝わったと思います。私も聴いていてひときわ感慨深かったです。
 亜美さんはMCで「音楽でできることは何だろうと常に考えている」と話していました。ロビーに貼り出された色紙には“「音楽」が平和のためのチカラになりますように!!”と記されていました。

 最後は出演者全員で「折り鶴」の歌唱。配られたパンフレットに歌詞カードが差し込まれていて、客席も一緒に歌いましょうという趣向だったのですが、私はこの曲を知りませんでした。まわりの方は普通に歌い出しましたので、広島の方は皆さんご存じなのかな。私は1番は聴くことに徹して曲の構成をつかみ、2番から合わせるように歌い出しました。案外なんとななるものです。

 和やかで温かい雰囲気のうちにコンサートは終了。良いコンサートでした。何より、8月6日という日に広島に行くきっかけを作ってくれた亜美さんと実行委の方に感謝。正直なところ、行く前はこれといって広島に縁の無い私が8月6日に広島に立つということが、表現は適当でないかもれないけれど怖かったのです。でも、行って良かったです。それと、ちょっと意外だったのは、亜美さんが「実行委の方はみんな明るい。明るく戦争や原爆のことを語っている」と話していたことでした。私はそういう話をするときはしかめっ面をしてるものとばかり思っていたので。。。伝え方として、そういう方法があるんだと。いろいろなことを考えたり意識した8月6日でした。

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2019年3月11日 (月)

忘れないだけでなく

 きょう3月11日は東日本大震災から8年の日でしたが、前日の3月10日は10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から74年の日でした。東日本大震災とともに、記録・記憶そして教訓を継承していく必要があると思っています。

 今年は関東ブロック紙の東京新聞が特集(連載)を出しています。
 孤児たちの闘い 東京大空襲74年

 空襲で犠牲となったのは民間人です。しかし、軍人と違い何の補償もありません。国は「戦争被害受忍論」なるものを持ち出して補償を拒否していますが、攻撃された都市とそうではなかった田舎では受けた被害に相当の差があります。さらに都市住民は防空法によって都市からの退避が禁止されていました。軍需工場の働き手や空襲時の消火活動の人手を減らしたくなかったからとされています。国は「国と雇用関係になかった」とも主張していますが、こんな状況で民間人には補償なし、は理不尽だと思います。日本と同じ敗戦国のドイツでは、民間人にも補償されているそうです。

 議員立法で救済法を作る動きもありますが、先の臨時国会では法案提出すらされませんでした。それに成立したとしても軍人とは比べものにならないぐらい極めて少額な補償になりそうです。この問題を長く取材している記者の記事がネットで読めます。

「民間の空襲被害者にも救済を」という声に、政府は耳を傾けるか

これを読むと空襲被害者の戦争はまだ終わってないと感じます。
そして、これを「私には関係ない」とは言えないと思います。将来、同じことが起こりうるからです。

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2019年1月17日 (木)

阪神淡路大震災から24年

 1月17日は阪神淡路大震災から24年の日でした。
 震災20年を過ぎたころから「記憶の継承が課題」と言われながら、実際には年を経る毎にメディアで取り上げられる量が減っているように感じます。関東では今日の新聞のラテ欄を見ても、民放テレビジョンのニュースやワイドショーは大相撲と大手アイドルグループ新潟支店の話題が幅をきかせ、阪神の文字を見かけません。そんななか唯一、放送協会だけはNHKスペシャルで災害時の救助におけるトリアージを取り上げていました。大災害が発生すると、救助要請に対して圧倒的に救助の人員が足りず、選別せざるを得ない。阪神淡路のときの東灘消防署の救助活動記録をひもとき、部隊によってどんな判断をしてたのか、救助隊員の葛藤などを紹介していました。当時トリアージという言葉は一般的でなかったと思いますが、現場の判断で同じようなことが行われていたといいます。救助を後まわしにされた遺族の心情や、トリアージの対応訓練の様子も紹介されていました。

 この救助トリアージについて、震災直後に取り上げていたのが神戸新聞でした。95年1月20日朝刊の社説「被災者になって分かったこと」で次のような記載があります。

『東灘消防署にある救助本部へいく。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。』

 奇しくも今回、番組で取り上げた東灘で被災した論説委員長の体験と心情が率直に綴られた社説は、大きな反響を呼んだといいます。24年たって、このときの経験をどう生かしていくか、どう社会に理解してもらうか、当事者になったときどう受け止めるのか、番組を見ながら考えさせられました。


地元紙の神戸新聞は今年もウェブサイトで特集ページを出しています。ご覧下さい。
【特集】阪神・淡路大震災

引用した社説の全文はこちらで読めます。
社説 被災者になって分かったこと/阪神・淡路大震災

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2018年12月 8日 (土)

12月8日

 好きな音楽が自由に楽しめる世の中が続くよう、この日を胸に刻みます。

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2018年11月15日 (木)

気がついたら

 なんとまあ、本館TEAROOM☆NAOKO開店から15年。最近はファンサイトとしての影響力を過大評価されたり公式視するようなコメントも受け、戸惑いを感じることもあります。まあ、それもこれも15年前と違って「ファンサイト」という古くさいスタイルで、かつ休眠状態ではなく残っているのがウチぐらいという事情もあるんだろうなあと思いますが。もっともウチも実質的に動いているのはこの雑記帳(ブログ)ぐらいなのですけどね(^^;
 正直なところ、世の中はSNSや動画・画像投稿サイト全盛で、誰もが手軽にネットで情報発信できるこの時代にウチのスタイルはとっくの昔に「オワコン」になっているのではないかなと思うところがあります。とはいえ、もともと強い目的意識を持って開店したわけではなく、個人的な趣味で勢いにまかせて立ち上げただけなので、役割が終わったから畳もう、という気になるわけでもなく(微笑)。今後ものんびりマイペースでだらだらとやっていくんだろうなと思います。

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2018年10月23日 (火)

明治百五十年

 報道によると、きょう10月23日、政府主催の明治改元から百五十年を記念する式典が開かれたそうです。そういえば今年は盛んに明治百五十年ということが謳われ、各地のイベントにも冠が付けられたりしてますね。放送協会の大河ドラマも明治維新ものですし。

 では全国どこでも祝賀ムードかといえば、決してそうでもありません。

 9月に京都を訪れた折に、ある学生イベントに立ち寄ったのですが、そこに市の明治百五十年のブースが出ていたので、私はちょっと驚きました。京都は幕末の動乱で街が焼けた上に明治新政府によってなし崩し的に都の地位を奪われており、快く思っているわけがないと思っていたからです。で、ブースのスタッフにそのことを直球で尋ねたら「そうなんですよ。京都は明治維新でえらい目にあって、本当に大変だったんです。なので、その大変な状況をどうやって克服してきたかということを中心にアピールしているんです」という答えが返ってきました。なるほど、ブースで紹介されていたのは京都復活の大きな原動力となった琵琶湖疏水をはじめとした近代化遺産の紹介でした。

 これは一つの例ですが、地域や人によって受け止め方は違ってくると思います。一口に明治百五十年といっても様々な切り口があって、陽の部分もあれば陰の部分もある、そういったことにも心を配りたいものです。

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