2022年5月 4日 (水)

祝・日本国憲法施行75年

 きのう5月3日は憲法記念日。大日本帝国憲法の規定に従った改正手続きにより成立した日本国憲法の施行から75年でした。あらためて、憲法に示された理念のありがたさを感じます。日々の暮らしに憲法は直結しています。好きな音楽を聴いたり好きな芝居を観られたりできるのも。

 いま社会不安を背景にした憲法改正論が浮上していますが、政府を縛る最高法規が、空気に左右されるようなことがあってはならないと思います。「空気は、読まない」。東京新聞のキャッチコピーですが、こんなときこそ冷静に考えたいです。

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2022年4月 7日 (木)

新聞ノススメ

 きのう4月6日から春の新聞週間が始まっています。

 私はネットニュースも見ますが、紙の新聞も購読しています。新聞はオワコンという人もいますが、本当にそうでしょうか。大方のニュースがネットで読めるのは事実ですし、速報でいったら新聞はネットや放送にかないません。オワコンと感じる人にはオワコンなのかもしれませんが、紙の新聞を読んでいていいなと思うことは数々あります。

 たとえば一覧性。紙面を広げれば並んだ見出しが目に飛び込んできます。あまり興味のなさそうな記事でも見出しで気づきを得ることがあります。関連する記事が隣り合わせに配置されていることもあり理解が深まります。
 紙面には限りがあるので、載っている記事は厳選されたものです。また基本的には新聞社が重要と考える記事が大きく出ます。ネットのニュースで上位に来るのは時系列かアクセス数が多いかのとちらかが多いため、見比べるとだいぶ印象が変わります。また速報性が弱い分、解説記事、連載記事が多く、理解が深まります。
 いまロシアが侵略戦争を続けていますが、新聞は比較的冷静な報道のように感じます。テレビの報道がしんどく感じる方には新聞はいいと思います。
 年代が年代なので、ネットをPCやスマホで見るよりも、紙面のほうが見やすいというのもあります(^^; 広い紙面を生かして表や図版も多いので、その点でも読みやすいです。あらかじめ記事の大きさを認識してから読み始めるので、どのぐらいで読み終えるかの心構えができるのも良いです。ネットだと、やたらと長い記事があったりして、なかなか読み終われない、なんてことがありますが。

 いろいろ綴りましたが、新聞で注意したいのは各紙のカラーです。つまり新聞社により編集方針が異なりますから、どの新聞を読むかで印象が変わります。私は新聞を選ぶとき、庶民の側に立っているかを重視します。個人的には全国紙よりも地方紙のほうが肌に合うことが多いです。

 ネットニュースを否定しているわけではありません。ネットにはネットの良さもあるので、相互補完するような形で共存して欲しいと思います。新聞、いかがでしょうか。

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2022年3月17日 (木)

夜の地震

 昨夜の地震、みなさん大丈夫だったでしょうか。被害に逢われた方にはお見舞い申し上げます。

 私の居住地(関東南部)での震度は4程度でしたが、揺れが大きくなる過程が11年前の東日本大震災に似ていて、冷や汗が出ました。新聞を読んでいた時に、かすかな揺れを少し長めに感じたので、地震情報があるかもとラジオのスイッチを入れてNHKラジオ第一を聞くと、すでに地震速報を放送中でした。宮城・福島で強い揺れと伝えていたので、もしやこれから揺れが激しくなるのかと思ったら、やがて横揺れが大きくなり、みしみしと音を立てるほどに。揺れが長く、どこまで大きくなるのかとおののいてたら、やがて収まってきました。幸いに物が倒れたり崩れたりというほどではなく、停電もなくほっとしました。

 11年前は平日の日中で職場に居ましたから、激しい揺れに動揺したものの、大勢の仲間がいることで安心感もありました。在宅中だと頼れるのは自分だけ。しかも夜。ちょっと怖さの感じ方が違うなと感じました。防災訓練はだいたい昼の実施です。様々な状況での災害時の対応について考えておくことの大切さを改めて思います。

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2022年1月17日 (月)

忘れるものか

 きょう1月17日は阪神淡路大震災から27年でした。休み明けの平日ですが、思えば27年前も成人の日の振替休日の翌日でした(当時の成人の日は1月15日固定)。関東住みの私が朝7時頃に起きて、地震を伝えるNHK総合テレビジョンに映っていたのは電柱が倒れていた映像だったと記憶しています。「派手に倒れてるな」とは思いましたが、いつもどおり出社。まさかあんなことになっているとは、その時点では思いもしませんでした。

 今日、追悼行事が行われた場所の一つである神戸・三宮の東遊園地に灯籠で形作られた文字は「忘」でした。当事者の危機感を表しているように思えました。関西に居たことはあっても震災の直接の当事者ではない私ですが、忘れるものか、という思いです。遠く離れていても、それぐらい衝撃を受けた災害でした。何も語れることはないけど、せめてこうして綴ることだけはしていきたいと思います。私が語れないことは、神戸新聞が伝えています。

 * * *

 14日から開幕した東京国立博物館の特別展「ポンペイ」をきのう16日に見てきました。火山の噴火によって埋もれた都市としてあまりにも有名ですが、展覧会のキャッチコピーは「そこにいた。」でした。出土品などを通して、そこに暮らしていて犠牲になった人々に焦点を当てようとしたものと理解しました。最初の展示物は、うつ伏せで倒れている状態の女性の犠牲者の石膏像でした。その像の型をどうやってとったのか、解説がなかったので技術的なことはわかりませんが、あまりにも衝撃的でした。この展覧会は写真撮影OKなのですが、これだけは撮る気になれませんでした。災害というとどうしても記録に残りやすいハード的な被害に目が行きがちですが、そこに生きていた人がいたということを忘れないようにしたいと思います。

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2021年12月30日 (木)

あっという間に年の瀬

 早いもので12月30日、あと2日で新年です。12月は個人的にはなんだかあっという間に過ぎて行った感じになりました。というのも、新型コロナの状況が落ち着いてきたことでエンタメ系のイベントに行く機会が多かったのです。すでに綴った扉座の「ホテルカリフォルニア」観劇も、もう一度観に行きましたし、そこで貰ったフライヤーにあった #北区の熱海 北区AKT STAGE公演「熱海殺人事件」も観ました。扉座の、特につかこうへい原作の上演には熱海殺人事件のシーンや音響などあれこれが引用されれいると聞いてはいましたが、今回初めて「熱海~」を観て、なるほど、そういうことだったのかと思いました。知ってるのと知らないのとでは見方が変わってきますね(といっても知らなくても楽しめますが)。先の「ホテルカリフォルニア」でも横内謙介さんが熱海殺人事件を観て演劇にはまっていったことが描かれていますが、私の中でいろいろなことがつながりました。

 音楽では「ソワレが唄う~越路吹雪ロングリサイタル」。14日から26日までの長丁場の公演でしたが、そのうちの三浦浩一さんがゲストの日に伺ったり、銀座deシャンソン(きゃんひとみ、メイリー・ムー、ソワレ)がゲストの回を配信で観たり。これも楽しかったですね。越路さんの貴重な映像なども映しつつ、音源が残っていない越路さんのナンバーをリサイタルの台本や楽譜から再現しようという意欲的な取り組みでした。他に、推しているいまのまいさん出演のライブもいくつか。

 そんなことをしていたので、15日に発売された尾崎亜美さんの45周年記念CD-BOXも手に入れているのですが、いまのところ中身を点検しただけ(^^; ブックレットをささっと見てみたら、ほぼ亜美さんのロングインタビューとなっていて、文章のあるページが28枚ぐらいある大ボリューム。ちなみに歌詞は各CDのスリーブを見よ、となっています。CD自体はプラケースですが歌詞カードはLPの縮小版という、河合奈保子さんのSACDハイブリッド盤と同じような仕様でした。お正月にゆっくり見ましょうかね。といってもお正月も駅伝やら聴いてたらあっという間に過ぎそうですが(^^; 新年はエンタメの正常化に向かっていって欲しいところですが、また変異株で盛り上がりそうなのが気がかり。新しい年は落ち着いた年であって欲しいです。

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2021年12月 8日 (水)

80年前のことだけでなく

 きょう12月8日は対米英開戦から80年の日でした。節目の年とあって、新聞のラテ欄を見ると放送協会はここ1週間ぐらい各種の特集番組が組まれていたりします。

 ただ、80年前のことだけにフォーカスして「開戦は避けられなかったのか」など論じたりするのは、ちょいと違うんじゃないかなと感じたりもします。BS-TBSで毎週土曜日に放送されている「関口宏のもう一度近現代史」を録画して見ていて、戦争はある日突然始めるものではないと思ったからです。

 番組ではすでに日本の敗戦後の歴史に移っていますが、対米英開戦までを見てきていろいろなことがつながっていると感じます。対米英開戦は経済制裁を受けて追い込まれた結果という見方もできますが、その経済制裁の要因は盧溝橋事件(1937年)に始まる日中戦争であり、その前には「満蒙は日本の生命線」と主張して満州を勢力下に置こうとした柳条湖事件(1931年)から始まる満州事変があり、その前には朝鮮半島の勢力圏をめぐる争いである日露戦争(1904年)、日清戦争(1894年)があり、それを正当化した「主権線と利益線」の主張(1890年)に行き着くわけです。

 折しも開会中の臨時国会では安全保障に関する極めて重大な政府発言がなされています。歴史の教訓を今こそ噛みしめたいです。同時に周辺国の軍拡・国民統制路線に対しては「それって戦前の日本じゃありまんか?」とも言いたいです。

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2021年8月15日 (日)

かわいそうなぞう

 きょう8月15日は終戦の日、敗戦忌でした。かつてはこの日に故・秋山ちえ子さんがTBSラジオの自身の番組で「かわいそうなぞう」の朗読をしていました。いまでもTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド・土曜日版」で終戦の日に近い放送日で、録音された朗読が放送されています。今年は14日の放送で流れました。戦時下の上野動物園で実際にあった猛獣処分を題材にした絵本「かわいそうなぞう」の内容は多くの方がご存じかと思います。

 この「かわいそうなぞう」についてたまたま、ネット上で内容を検証しているコラムに行き当たりました。

 空襲はなかった。なぜぞうは殺されたのか
 絵本『かわいそうなぞう』の真実 猛獣処分考(1)
 (47NEWS編集部)

 絵本では空襲が激しくなったのでぞうを殺すことになったとされていますが、上野動物園で猛獣処分が行われた1943年8~9月はまだ東京に本格的な空襲はなかったという史実との不一致があるところから、猛獣処分には別の理由があったと論考が進んでいきます。(ちなみにサイパン島が陥落したのが翌44年7月。ここを基地とした本格的な本土空襲は同年11月から)
 そして、絵本が猛獣処分の指示者を明確にぜず責任の所在を不問にしていることや、動物園職員がぞうの命を選別しようとしていたことなどに話が及んでいきます。

 ぜひ内容を読んでいただければと思いますが、戦争の惨禍を考えるときにはその始まりと意思決定の過程を抜きにするわけにはいかないと思った次第です。それに、猛獣処分の真の理由を知ると、昨年春の新型コロナ禍の初期に行われた学校一斉休校となんだか重なるところがあるようも思えてきます。戦争の惨禍を繰り返さないために、まだまだ考えることはたくさんありそうです。

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2021年8月10日 (火)

8月9日

 きのう8月9日は長崎原爆忌でした。国際的な商業イベントが終わり、例年よりも長崎の注目度が高かったように思います。放送協会も式典の中継以外に特別番組をラジオ・テレビジョンとも編成していました。

 平和宣言で、核廃絶は新型コロナと同じく一人ひとりが当事者として考え行動することが大切だと訴えていたのは印象的でした。もう一つ式典で印象的だったのは総理大臣、国連事務総長(代読)、県知事のあいさつのなかで、核兵器禁止条約にひとことも触れなかったのは総理大臣だけったということ。記者会見では条約に署名する考えがないことを表明したそうですが、それならなぜあいさつではそう言わないんでしょうね。

 長崎平和宣言はこちらで読めます。

 

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2021年8月 6日 (金)

歴史的な8月6日

 きょう8月6日は広島原爆忌でした。今年は、核兵器禁止条約が発効して初めて迎える8月6日になりました。核保有国が参加しない条約は意味がないという意見もありますが、条約が発効したことの意味は決して小さくないと考えます。たとえ条約に不参加の国があろうとも、核兵器を絶対悪と位置付ける地球的なコンセンサスが出来たのですから。広島市の平和宣言では、日本政府に条約批准を訴えました。

 しかしながら、平和記念式典では総理大臣があいさつのなかで核禁条約に触れなかったばかりか、最も大事な部分を話さなかったのは極めて残念なことでした。報道によれば原稿を読み飛ばしたそうですが、日本の核廃絶に対する意識はその程度なのかと思われても仕方がないと思います。

 その式典を放送協会はテレビジョン中継していましたが、ひどかったですね。上記のあいさつが終わった直後、アナウンサーが「総理大臣はあいさつのなかで、わが国は核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要と述べました」とアナウンスしていましたが、実際には総理大臣は述べてません。ここがまさに読み飛ばしたところなのです。予定原稿をもとにしているのでしょうけど、述べていないことを「述べた」と言うのは捏造といってもいいでしょう。しめくくりのアナウンスなどせず黙っているべきでした。

 そして、放送協会はきょう、その式典の中継を除き、テレビジョンで原爆関連の特別番組が編成されませんでした。このようなことは近年なかったことです。国際的な商業イベントを開催中だといっても、テレビジョンはデジタル化されサブチャンネルが使えるのですから、理由になりません。商業放送ならいざ知らず、公共放送としての姿勢が問われる番組編成でした。

 いろいろな意味で歴史的な8月6日でした。広島市の平和宣言はこちらで読めます。

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2021年6月 1日 (火)

「電波の日」に思うこと

 6月1日は電波の日です。1950年6月1日、電波の利用を規定する”電波三法”が施行されたことにちなみます。それ以前に制定されていた無線電信法は「電波は政府のもの」という原則であり、例外的に私設利用を認めるという扱いでした。例えば1925年に始まったラジオ放送もそのひとつで、社団法人による運営でありながら政府の強い影響(干渉)を受けました。これをGHQの指導のもと「電波は国民共有の財産」に転換したのが電波三法です。「電波の民主化」とも言われます。

 この電波三法とは何か。1つは電波法、2つは放送法。3つは・・・今はもう無いのです。この無くなってしまった法律が、実は電波の民主化にとって大事だと思われるものです。それが電波監理委員会設置法。電波の許認可を政府から独立して行う行政委員会を設置するもので、GHQの肝いりで作られたものです。米国の連邦通信委員会(FCC)をモデルにしたと言われます。ところが時の日本政府はかなり渋々だったようで、1952年に日本の主権が回復しGHQが引き揚げると真っ先に廃止してしまったのです。電波の許認可権は郵政省に移り、現在の総務省に至ります。

 昨今の政府による放送への介入といってもおかしくないような事例や、電波の許認可をめぐる接待疑惑などを見るにつけ、政府が直接許認可権を行使するのは電波三法制定時の理念にそぐわないと思う次第です。世界的にも日本は珍しいそうです。今こそ失われた電波監理委員会設置法の復活を考える時だと思います。

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