阪神淡路大震災の教訓
きょう1月17日は阪神淡路大震災から29年の日です。毎年この日は何かしら震災のことをここに綴っていますが、今年はとても複雑な気持ちで迎えました。元日に発生した能登半島地震の報道で見る被害の状況が阪神淡路大震災を彷彿とさせるものだったからです。二階建ての木造家屋の一階がぺちゃんこになっている様子は、阪神淡路での典型的な被害でした。報道によれば、地震の揺れの周期に木造家屋に被害を与える成分が多かったそうで、それが阪神淡路に似ていたといいます。
実は最近、とあるきっかけで防災関連の講演を聴きました。その講師にNHKの記者出身の方がいて「マスコミは震災の本当の教訓を伝えていない」と自戒を込めて話していました。いわく、阪神淡路では大火災や阪神高速道路の倒壊などを大きく取り上げていたが、そこでの死者はそれほど多くない。死者の8割はニュースではあまり映らない住宅の倒壊による圧死や窒息死であり、倒壊家屋の多くは1981年以前の旧耐震基準であったと。そして震災での行政や国の対応を問う番組は多く作られたが、旧耐震の家屋に住んでいた人が犠牲になったということは大きくとりあげなかった。なぜか。それは「死者に鞭打つ」と遺族に受け取られることを恐れたからだ、と。そして本当の教訓は、死者を減らすには住宅の耐震化(新耐震基準にによる建替え又は補強)がなんとしても必要だということでした。
そんな話を聴いた後に起きたのが能登半島地震で、死者の多くは古い住宅の倒壊によるとみられるとの報道に接し「繰り返されてる・・」と思ってしまったのでした。教訓を生かすことの大切さをこんな形で認識するのは切ないです。もちろん、新耐震の家屋なら絶対倒壊しないとは言えず、実際に倒壊例はありますが、倒壊率は旧耐震に比べれば大きく下がります。リスクを減らすという観点で住宅の耐震化がクローズアップされることを願います。
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コメント
今年の1.17の追悼式でも、阪神間の方からは、「あの日の光景がフラッシュバックした」という声が結構ありました。輪島市は、2007年の能登半島地震(M6.9)を経験したのですが、その時に耐えてしまった古い家屋が、今回の地震(M7.6)で倒壊してしまったケースもあるように思い、残念です。
石川県の防災計画では、今回の活断層による津波リスクは取り入れていたのに、揺れのリスクを織り込めていなかったようで、天災は忘れた頃にどころか、想定の隙間を狙うような残酷さを恨みたくなります。
www.tokyo-np.co.jp/article/303471
投稿: ギムリン | 2024年1月18日 (木) 21:34
■ギムリンさん
いらっしゃいませ。やはり阪神淡路の経験者でもそのような声があったのですね。
東京新聞の記事はチェックしています。東日本大震災後、県が地震のリスクが少ないとして企業誘致をしていたというくだり、なんだかなあという思いです。
投稿: MARU | 2024年1月21日 (日) 01:21