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2022年6月12日 (日)

扉座公演「神遊」を観る

 きのう11日は劇団扉座の公演「神遊-馬琴と崋山-」を観てきました。会場は東京の座・高円寺。扉座の東京でのホームのような小屋です。

 神遊は「こころがよい」と読ませます。公演のタイトルにこんな普通には読めないものを採用したのはどうしてだろうと思ったのですが、会場配布のパンフレットによれば滝沢馬琴の南総里見八犬伝に出てくる言葉遣いだそうです。

 芝居はタイトルのとおり、滝沢馬琴と渡辺崋山をめぐる物語。正直なところ日本史の教科書で名前だけ知ってる、ぐらいのもの。理解できるかなと思いましたが、要所に講談師を登場させて背景や場面をテンポよく解説しながら・・それも芝居のうちですが・・・進んでいくのでわかりやすく、ぐいぐいと引き込まれていきました。

 休憩ありの2幕構成で、1幕は崋山をメインに馬琴との関わりが描かれます。武士にして絵師、明朗快活で人に好かれ弟子も多い崋山と、武家の出ながら日本初の職業作家、人嫌いで弟子も取らず、理屈っぽくて平気でダメだしする馬琴の姿は対照的ですが、心を大事にして信念を貫くというところは似ているかなと。
 2幕は天保の改革で幕府の弾圧を受ける崋山を救おうと奔走する関係者に対する馬琴の態度と失明後も八犬伝を完成させようとする姿を中心に。ここから先はぜひ芝居を観ていただきたいので仔細は書きませんが、馬琴はかなりヤな感じに描かれます。しかしラスト、老中・水野忠邦の失脚により天保の改革が終わったあとの馬琴の独白は、まさに公演タイトル「神遊」につながるもので、観ていてスカっとしました。馬琴には馬琴なりの考えがあったのだと。派手な立ち回りなどはないけれど、馬琴と崋山を取り巻く人々も魅力的で、しみじみと心に響く良い芝居でした。

 江戸時代後期の物語ではありますが、現代にも通じるところがあります。崋山は政権の方針に異を唱えたことで目を付けられ、家宅捜索で押収された未発表の草稿が問題視され処罰されてしまいます。つまり心を罰された・・・この、実行しなくても思っただけで処罰されるというのは、現代でいえば共謀罪(の趣旨)にあたるところかと思います。そしてそれが、2幕の馬琴の態度にもつながる・・つまり萎縮を生むということです。座長の横内謙介さんはこの芝居について「ついにやるべき時が来た」と記していますが、私にはそんな現代の背景もあるのかなと感じました。信ずるところを貫き弾圧を受けた崋山、我が身大事と心を押し殺して嵐が去るのを待った馬琴、あなたが当事者ならどちらを選びますかと問われたら難しいです。が、せめて選挙では「崋山の価値がわかる」議員を選びたいなと。

 6月19日までやっています。まだお席がたくさんあるそうなので、ぜひ。公演情報は扉座のサイトで。

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