1・17 17年
きょう、2012年1月17日で阪神・淡路大震災から17年になります。
昨年、東日本大震災が起こり、阪神・淡路大震災を大きく上回る人命が奪われる災害となってしまいました。しかし、だからといって阪神・淡路大震災が風化してよいものでは無いでしょう。東日本大震災では津波の恐ろしさをこれでもかというほど見せ付けられましたが、それとはタイプの異なる都市直下型地震だった阪神・淡路大震災の教訓はこれからも生かされなければならないものだと思います。
そして、東日本大震災の被災地でいま必要なものは、阪神・淡路大震災の復興の過程の教訓ではないかとも思います。仮設住宅、復興計画、生活再建、地域コミュニティの再生、産業復興、心のケア・・・そのほか当事者ではない私には計り知れない様々なことがあると思います。土地が違うので一概に当てはめられないかもしれないけれど、そうした教訓を生かし、住民本意の復興が進むことを願っています。
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コメント
毎年、こうして記事にして記憶をよみがえらせていただき、感謝します。
阪神淡路大震災では、関西では地震が少ないという、今から思えば根拠のない安全神話がありました。
東日本大震災では、宮城沖地震を想定した津波対策で備えていたにもかかわらず、自然は軽々と我々の"常識"を越えていきました。
次は、東海・東南海・南海だけでなく、日本のどこでいつ大きな地震が起こっても不思議でない状況です。
せめて、自分や家族の安全だけは最低限確保するよう、転倒防止や3日分の非常食備蓄の準備、懐中電灯・ラジオの電池の交換などを、皆さんには再確認していただければと思います。
投稿: ギムリン | 2012年1月17日 (火) 01:19
■ギムリンさん
いらっしゃいませ。
直接の当事者ではない私が阪神淡路のことを書くのもどうなんだろうかと毎年思いながら、それでも書くのをやめてしまったら「もう忘れました」と宣言したことになるような気がして、また今年も書いています。
具体的な教訓をお書き頂きありがとうございました。
投稿: MARU | 2012年1月17日 (火) 23:34