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2010年8月14日 (土)

旭川電気軌道の残り香をたどる

 8月2日付けで北海道・名寄に尾崎亜美さんの野外ライブを観に行ったことを綴りましたが、その際に「玉置浩二さんに関することの私的リサーチ」も目的の一つとしていました。そのリサーチとは旭川電気軌道の痕跡をたどるというものでした。
 旭川電気軌道は旭川四条-東川・旭山公園を結んだ電車ですが1972年に廃止され、現在はバス会社となっています。軌道というと路面電車を想像しますが、実際には「路面区間もある」郊外電車だったということです。ではリサーチ結果を。

■旭川四条
 起点の旭川四条駅は、宗谷本線の旭川四条駅に隣接していました。といっても電車があったころは宗谷本線のほうは「仮乗降場」という時刻表に載らない駅だったそうで。
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 駅構内は駐車場になり、駅舎の跡には赤い屋根の平屋建てのショップが出来ています。貨物輸送もしていたため構内が広くなってますね。地平だった宗谷本線は高架になってますが、これで貨物の直通が出来なくなることが旭川電軌に引導を渡したらしいです。左手には当時からのレンガ積み倉庫があり、系列の旭友スーパー(れたす)として営業していましたが、今年の春に旭川電軌はスーパー事業から撤退・閉店したそうです。(当時の写真はこちらを参照)

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 駅を出るとすぐに右に折れ、四条通りの中央を進んでいたそうです。さすがに道路に痕跡はありませんね。当時の写真と比較すると、たくぎんが北洋銀行(青い看板)に変わったものの建物は同一のようです。

■旭川追分
 現在の旭川追分バス停付近に旭川追分駅があり、ここで本線である東川線から東旭川線が分岐していたそうです。分岐した東旭川線の跡をたどると、パチンコ店の裏手の小川に、当時の鉄橋が線路を外されただけで残っています。
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 ご丁寧に「通行止」の標識が取り付けられているのが微笑ましいですね。線路は鉄橋の先にある2階建ての建物の敷地を通り、その先の通りへと続いていたそうです。

■東旭川6丁目(役場前)
 東旭川線は旭山公園を目指して走ります。ルートは現在のバス路線でいうと40番・41番線に相当します。途中の役場前駅が現在の東旭川6丁目バス停になりますが、ここには近年まで電車時代の待合所が残っていたそうです。現在は建て替えられています。
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中に張られていた利用に関する注意書きを読む限りでは、バス待合所ではなく「休憩所」という扱いで市が建てたもののようです。どうりで時刻表も何も設置してないわけだ。。
なお、バス停も路線図も「東旭川6丁目」と書かれていますが、バス車内では「東旭川1条6丁目」とアナウンスされたので焦りました。

■東旭川公民館の保存車両
 東旭川6丁目バス停から南に徒歩10分程度の東旭川公民館に、当時の電車が保存されています。
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 いやあ、デカいわ。全長18メートルだそうです。これはとても路面電車とはいえないですね。やっぱり郊外電車だ。。。屋外展示の割には状態は良いです。ただ、窓枠がサッシでないのでちょっと傷んでますね。内部には入れませんが、窓越しに覗くと天井の化粧板が落ちていたりと、それなりの傷みはあります。

■東川
 旭川追分を直進した東川線のルートは現在のバス路線でいうと60番線に相当し、東川西3号バス停から少し北に入ったところに終点・東川駅の跡があります。
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 非常に見づらい写真で申し訳ないですが、倉庫が立ち並ぶなかホームが右側に残っています。倉庫とホームの間に線路があったということですね。当時の写真はこちらを参照。なお駅舎跡とおぼしきところには立派な石碑が建っていました。

■東川郷土資料館の保存車両
 東川駅跡から徒歩約10分程のところにある東川郷土資料館にも当時の電車が保存されています。こちらは屋内展示です。
Adk_m100
 こちらの電車は東旭川のものより一回り小さく全長約13メートル。車内にも入れますが、運転台などはポールで仕切られただけで路面電車っぽいですね。なお狭い館内に電車を押し込めていますので全景を見通す位置がなく、代わりに鏡が設置されています。写真右は鏡に映った車両を写したものなので、左右逆になってます。念のため。

 さて、ここまで綴ってきて玉置浩二さんと何の関係があるの?というところですが。
 玉置さんのバンド「安全地帯」の名前は、旭川電軌の停留場に付けられていた安全地帯を示す道路標識(Vに似ている)に由来するという話しなのです。旭川出身の玉置さんが標識を見てVictoryを連想し、じゃあということで安全地帯と名づけたと。
 しかし、私はこの話に懐疑的でした。というのも、旭川電軌は郊外電車と聞いていたので路面の停留場で乗り降りするような電車ではないと思っていたからです。実際、今回見てきた保存車両も、郊外電車用の高いホームがなければ乗り降りできません。車両の外に折りたたみステップでも装備していれば別ですが、それもありませんでした。路面の停留場でなければ安全地帯の標識は掲示されないので、旭川電軌由来説は怪しい、と思っていたのです。

 ところが、郷土館でパネル展示されていた当時の写真を見て仰天。
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 ピンボケですが、道の真ん中に、無理やり高いホームを作っている様子が分かります。いやはや、こんな強引な停留場があったとは。。。残念ながらVの標識が写っている写真は発見できませんでしたが、このような停留場があるなら標識が付いていておかしくないなと思いました。


最後に、旭川電軌バスのバックショットを。
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ご覧の通り、電車はなくなっても「電気軌道」としっかり名乗ってます。

なお、東旭川線終点の旭山公園駅は、現在話題の旭山動物園の近くにありました(現在のバス停では旭山)。このため、「もし電車が残っていれば動物園へ行く人でにぎわってたのでは」というような意見を時折目にするのですが、私はそうは思いません。市街地側のターミナルが中心街から離れた旭川四条(バス停では4条18丁目)ではいかにも中途半端だからです。


【余談】
 今回、写真の写りが全般に悪いですが、持ち出したカメラの露出制御が調子悪かったみたいで、天候が悪かったこともありものすごくアンダーに写ってしまいました。。。

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