京都市電の残り香を求めて
というわけで、前回紹介した「想い出の京都市電写真展」を見た後、その京都市電の残り香を求めて街へと出ました。以下粗雑なレポートです。
■伏見稲荷
京阪電車の伏見稲荷駅から伏見稲荷大社へと参道を歩いていくと、途中で琵琶湖疏水を渡ります。その橋の隣に、柵に囲まれたコンクリート打ちの小空間があってベンチなどが置かれています。なぜこんなところにコンクリートの空間が?という怪しさいっぱいの場所こそ、京都市電稲荷線の終点・稲荷停留場の跡です。写真は駅から伏見稲荷を向いたアングルですが、ここで電車が折り返していたそうです。ホームの端にあったタイルの白線がきっちり残っていて、ホームの跡であることが容易にわかります。
これは接近写真。ホーム部分はそのままで、線路部分がコンクリートで埋められている様子がわかります。
良く見ると、剥がされずに埋められたレールがちょこっと顔を出してます。(赤丸部分)
まだ、イメージわかないなあ・・という方はこちらをどうぞ。これはホーム終端部からくるっと回れ右をして京阪の駅方面を撮った写真です。コの字型のホームが浮かび上がってきませんか?この停留場の部分は単線で、写真の右手が乗り場になっていたそうです。ホームを出ると複線になり、木が茂っている公園部分を西に進んでいたそうです。
この写真は京阪電車の線路の西側部分です。住宅地の中に石垣で一段高くなった公園がありますが、これが線路跡だそうです。稲荷線は道路ではなく、このような築堤上を走っていたとのこと。現在はここを除いて築堤は取り除かれ、道路に転用されています。奥に見える茶色の電柱は、多分市電時代の架線柱ではないかと思います。
■中書島
京阪電車の中書島駅にも市電が来ていました。伏見線の終点・中書島停留場は、京阪の駅舎と一体になっていたため良く面影が残っているようです。この写真の中央部分に見える駅のひさしがまさに市電のりばのひさしそのもので、自転車に乗った人のいる部分にレールが敷かれてたそうです。比較的近年まではホームの跡も確認できたようですが、現在は痕跡はなくなってました。
駅前には、市電のことを記した高札が掲げられていました。伏見線は市電でもっとも古い路線ですが、開業時の伏見の終点は油掛町であり、のちにここまで延長されたというようなことが地図入りで書かれています。
この写真は、中書島駅から西を見たもの。左のマンションと右のたこ焼き屋の間の右にカーブした道がかつての線路跡です。廃止後に道路に転用され、電車代替の市バスが乗り入れていましたが、現在バスターミナルは南口に移り、市バスは入ってきません。
これは線路跡から中書島駅を見たもの。このゆるいカーブがいかにも線路跡という雰囲気を醸しだしています。
といった感じで残り香を感じてきました。路面電車は原則、道路上に線路が敷かれるので痕跡が残りにくいのですが、伏見線・稲荷線は新設軌道(道路上でない区間)が多いため、このように痕跡が探せばあるんですね。
本当は市電があったときの写真と対比させてお見せできればよいのですが、あいにく持ち合わせがありませんのでわかりにくかったかもしれません。当時の写真はKyoto City Trams in Memoryに貴重なものが掲載されているので比較されるとイメージできると思います。
・伏見稲荷はこちら
・中書島はこちら
さて次回は線路跡でなく保存車両を紹介したいと思います。
(まだ続くのかっ)
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