京都市電全廃から30年
今から30年前のきょう、すなわち1978年9月30日、京都市電で最後まで残っていた路線がこの日をもって運行を終了し、1911年以来の市営電車の歴史に幕を閉じました。
最後まで運行していた系統は次の2つでした。
【6系統】
京都駅前-東山七条-祇園-高野-烏丸車庫前
【22系統】
烏丸車庫前-金閣寺前-西大路九条-東福寺-東山七条-祇園-高野-烏丸車庫前
当時まだ私は小学生でしたが、ニュースになっていたのは覚えています。京都市電は以前に綴った京都電気鉄道を受け継いでおり、日本最古の路面電車が消えるということでした。ただし、京電から引き継いだ路線はこれより前、1970年3月の伏見線・稲荷線の廃止によりすでに失われています。
私が初めて京都を訪れたのは中学校の修学旅行でしたが、すでに市電全廃後で、烏丸通に地下鉄が開通して間もないころでした。したがって、市電全廃の是非についてはあれこれ言える立場ではありません。ただ、京都の交通の現状を見るにつけ、残っていたらなあと思うことがあります。
経験のある方も多いと思いますが、観光シーズンなど東山通は大渋滞になります。特に春秋の夜間拝観が定着して以降、夜になるとびたっと動かなくなってしまいます。バスだろうとマイカーだろうと渋滞にハマってしまい、時計とにらめっこしながらの観光になってしまうのです。もし市電を残しておき、広島や長崎などのように軌道敷内自動車乗入禁止を徹底させることができたなら、遙かに市内の移動はスムースになったのではと思います。
狭い道に電車なんか残していたら車線が減りさらに渋滞がひどくなるというご意見もあろうかと思います。ごもっともですが、1台に2~3人しか乗ってないクルマの渋滞緩和を図るよりも、輸送力の大きい市電を頻繁かつ定時運行させたほうがトータルとしては道路の利用効率が上るはずです。クルマは郊外の駐車場に停めて、いわゆるパークアンドライドに誘導していけばいいのではないでしょうか。。。
さて、最後まで活躍した車両のうち、比較的車体が大きかった1900型15両が広島電鉄に移籍しており、今も全車両がほぼ当時の姿のまま活躍中です。広島電鉄は他都市で廃止になった電車が続々と移籍し主力となっていた時期があり、「動く電車の博物館」などと呼ばれたりもしました。それは新車を入れたくても財政的に難しかったからですが、現在は自社発注の新車が増え移籍組は基本的に少数派になっています。そんな中、京都の電車だけは1両も廃車されることなく、いまなお市内線の主力の一翼を担っているのです。これは、他都市に比べ廃止時期が遅かったため相対的に車齢が若いということもあるでしょうし、運転手から運転しやすいと評価されていることも理由ではないかと思います。(運転手の評価については、ある雑誌に書かれていました)
こちらの写真は3年前の広島港電停の様子ですが、一番左側の1番のりばに止まっている1902号車が元京都市電です。先日、尾崎亜美さんのおっかけで広島へ行ったときも、ごく普通に乗車しました。移籍から30年を経て、まだまだ元気いっぱいというのが頼もしい限りです。
【追加情報】
京都市営地下鉄烏丸御池駅で、写真展が開催されているそうです。
想い出の京都市電写真展 ~ピンぼけブログ館
10月14日までとのこと。お近くのかたはどうぞ。
参考サイト
・市電保存館 on WWW(京都市交通局)
・Kyoto City Trams in Memory
(京都市電について良くまとめられた、バイブル的サイト)
<追記>
その後の関連記事です
想い出の京都市電写真展
京都市電の残り香を求めて
京都市電の残り香を求めて 2
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