11年、の意味
1月17日は阪神淡路大震災から11年。昨年はテレビでも多くの特別番組が組まれましたが、今年はすっかり影を潜めたようです。耐震強度偽装問題で国会の証人喚問が行われるため、おそらくテレビの(世間の)関心もそちらへ行ってしまうのでしょう。しかし、耐震強度偽装問題こそ、震災と密接な関係があるのですから、本来ならあわせて取り上げていただきたいものです。あの震災でも、多くの施工不良が発覚したのですから。
それにしても、10年と11年で何の違いがあるというのでしょう。風化させてはならぬということについて10年だから、11年だからという区別は本来無いはずです。歌手のデビュー○周年などとは次元が違うのです。
毎年神戸でこの日、支援ライブ「KOBE MEETING」を開く平松愛理さんのホームページを見てみたら、ライブ開催に寄せる思いが述べられておりました。ちょっと長いですが引用します。
『今度迎える1月17日は11年目です。 でも、大きな傷跡が残した多くの教訓を生かし、語り継ぐのに節目になる年数などあるのでしょうか?私はずっと同じ想いで、毎年生まれ故郷の神戸にて音楽を通じて、伝えたいことを表現してきました。 そしてそれはまた、2006.1.17 KOBE MEETINGも同じです。 さらに、きっと忘れない・忘れてはいけないことを伝えたいと思っています。 人の命に節目などないのだから―。』
はい、もう何も付け加えることはありません。
そんな中、地元の神戸新聞は執念深く震災を追い続けています。ラジオ関西もラジオ大阪、和歌山放送と共同特別番組を組んでいます。
関東のラジオでは各社のスタジオを結んで災害放送の取り組みを紹介する恒例の「災害情報交差点」が放送されるほか、午前中を中心に独自の特別番組が多く放送されるようです。
テレビが追いかけなくなったときこそ、地元メディアやラジオのこうした取り組みは大切なことだと思います。
私は直接の体験者ではないので「語り部」になることはできませんが、せめて毎年この日のことは何らかの形で綴っていきたいと思います。忘れないために。
☆追記
1.17の震災関連ラジオ放送については「ラテログ」さんが詳しくまとめられていますのでぜひ参考に。
阪神淡路大震災から11年目 ラジオ関西など特別番組
こうしてみると、やはりラジオは地域密着、聴取者密着のメディアであるという思いを強く感じます。
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