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2005年2月25日 (金)

梅花祭

 毎月25日といえば京都では「天神さん」といって北野天満宮に縁日が立つ日でありますが、2月25日は「梅花祭」とう祭典が執り行われる特別な日であります。
 祭典の日ではありますが、やはり人目を引くのは祭典そのものより上七軒の綺麗どころが総出で奉仕する野点ですね(^^; もちろん有料で事前に切符が必要らしいのですが、わたくしみたいなツテのない一介の旅行者が御茶屋へ行けるわけが無いので、本物の芸妓さんの接待を受けることができるこの機会は一度経験してみたいですね。
 野点の経験はありませんが、この時期に公開されている梅苑へはかつて行ったことがあります。これも有料で、野点ではないですが一応茶菓子付きだったはず。ちょうど見ごろだった記憶がありますが今年はどうでしょう。花見というと桜が連想されることが多いですが、なかなかどうして、梅の花見もいいものです。白梅、紅梅入り乱れて綺麗ですし、香りも良いですし。それに梅の場合、桜と違い「ドンチャン騒ぎ」はありませんので、落ち着いて鑑賞することができます。

 帰りは縁日に出ている骨董品なんかを見ていると、これがまた結構面白かったりします。まあ私は古道具や陶磁器の価値はわかりませんのでただ眺めるだけですが、古い真空管ラジオなんかが出ていたりすると俄然目の輝きが違ってきたりします(笑)。こういうところに出てくる場合、ラジオ専門商なんかより値付けが安いことがあり食指が動くのですが、なにせガタイが大きな物件が多いので旅行者にはもてあましてしまい、結局購入見送りになるんですけどね。だったら見なきゃいいのにって思うのですが、やっぱり見てしまうんだな、これが(^^;

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2005年2月20日 (日)

パソコン通信終了アナウンスに想う

 いつかこの日がやってくるとは思っていましたが。ニフティ社より正式に告知が出ました。

 「ワープロ・パソコン通信」は2006年3月31日をもって終了します。

 ニフティにおけるパソコン通信の代表的サービスであるフォーラム(電子会議室)が来月いっぱいでパソコン通信による提供を終了しWebフォーラムへ一本化するというアナウンスは出ていましたが、メールなどは継続するとされていました。メールは数年は残るのかな、と思っていたのですが、こんなに早く終了してしまうとは・・・。
 まあ、フォーラムがなくなってしまうと、パソコン通信ならではという価値を見出すことが難しいのも正直なところなんですけどね。

 インターネット全盛のご時世にパソコン通信にこだわることなんか無いでしょ、と言われればそうかもしれません。でも良い点も多かったんですよね。何といってもニフティのフォーラムに蓄積された情報、ノウハウの類は半端じゃなかった。私がニフティに加入したのは6年前で、インターネットも流行りだしてましたが、ネットで検索してもわからないことがニフティのフォーラムで簡単に解決できたことも数多かったです。
 Webフォーラムという代替サービスがあるものの、多くのパソコン通信フォーラムがWebフォーラムへの移行を断念して閉鎖に追い込まれています。これまで蓄積されてきた貴重なデータは著作権等の問題で他の場所に移設公開することができないそうで、これが永遠に失われることになってしまったのは社会にとっても損失ではないかと思います。
 パソコン通信はテキストのみで味気無さそうに見えますが、こうして書いているブログにしても情報の中身はほぼテキスト。多くのファンサイトの事実上のメインコンテンツであるBBSも基本的にテキストですから、パソコン通信が格段に劣っているとは思えません。その分動作が軽快で、HP200LXといった非力なポケットDOSマシンでも快適に通信ができ、自動巡回ソフトを駆使して「接続は短時間で、閲覧と原稿書きはオフラインでじっくりと」といった芸当が出来るのもパソコン通信ならではでした。オンラインによる閲覧と書き込みを前提とするインターネットにくらべ、電波状態に左右されるうえにまだまだ従量課金が主流のモバイル通信でも有利なんですけどねえ。ま、インターネットのBBSもNIF-Xみたいな巡回ソフトにより似たようなことは出来るらしいですが、非力なマシンでは対応できません。

 私はニフティのメールアドレス(非公開)は、いまでもパソコン通信で送受信しています。安易にOutlook使うよりウィルスに強そうだし、ポケットマシンでも快適に送受信できて重宝なので。残り1年、多分「旧NIFTY-Serve会員」から「@nifty会員(パソコン通信不可)」への会員種別移行勧奨がされると思われますが、私は最後の日まで旧NIFTY-Serve会員として居残り続けたいと思います。

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2005年2月15日 (火)

バレンタイン・ソング

 去年の2月14日には、バレンタインデーにひっかけてこんな記事を出したのですが、ここで触れた「八月のバレンタイン」をまた聴いています。軽快な歌で結構好きですね。
 昨年の記事でも書きましたように、この曲はあくまでも「女性から告白すること」をバレンタインデーに例えているだけで、直接バレンタインデーを描いたものではありません。収録アルバム「SKY PARK」も1983年6月の発売であり、歳時記としてはタイトルどおり夏の歌ということになります。そんな訳で本館談話室の11号室「季節・歳時記を織り込んだ曲」でも特に触れませんでした。
 しかし、タイトルに“バレンタイン”が含まれていることで、この時期に取り上げていただけることもあります。

 バレンタインソング
  ~シェルター

 いやー実にありがたい(笑)。ちなみにこちらの記事で、“ビビアン・スー「8月のバレンタイン」が河合奈保子「八月のバレンタイン」のカバーかどうかは不明”となっていますが、当方の調べでは別物。JASRACのデータベースによればビビアン・スーさんの唄ったほうは「作詞・作曲:中原めいこ」となっています。
 こうして眺めると、タイトルに含まれている曲というのは案外あるものですね。しかし定番となるとやはりこれしかないかと。

 「あしたは特別」バレンタインデー、曲は今年も国生さゆり
  ~ラテログ

 歌詞を吟味すると「実は2月13日の歌である」という指摘は、確かにそのとおり(笑)。それにしても、こうして歌い継がれ人々の記憶に残る曲というのはつくづく幸せだなあと思います。

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2005年2月13日 (日)

鎌倉で「おもてなし。」

 3連休最後のきょうは鎌倉で開かれた尾崎亜美さんのライブへ行ってきました。
 場所は公会堂のようなホールではなく、歐林洞ギャラリーサロンという、洋菓子店に併設されたこじんまりとしたホール。一段高い舞台などはなく、演奏者も観客も同じ高さ。加えて演奏者と観客が近い!最前列のキーボードの正面に座った方が譜面をめくれる位の近さです。(亜美さんに促されて本当にめくってました)
 毎年恒例の公演なんだそうですが、ファンに人気でキャパも小さいということで一見さんの比率は少ない模様。ということで会場の反応もことのほか良かったですね。もう、スローな曲以外は手拍子しっぱなし。前方の客席の会話がそのまま亜美さんに聞こえるぐらいなので予期せぬかけ合いも生れたりして、手作り感のある、あったかくて会場全体が一体となった楽しいライブでした。切符がすぐ売り切れてしまうのもうなずけます。
 終演後、ホールを出たところで余韻に浸っていたら、偶然にも控え室からひょっこり亜美さん登場。とても幸運なことに、少しだけお話する機会を得ることができまして、「元々は河合奈保子ファンなんです」と身分?を明かしたら、「あ、ClubAmiiに書き込みしている人?」ということでビンゴでした(^^)。奈保子さんについては「いい子でしたよ~」ですって。ファンとしては嬉しいですね。
 というわけですっかり「おもてなし。」されてしまったひとときでした。亜美さんありがとう。

 ☆

 あとで長年のファンの方に聞いたら、終演後の出来事はハプニングに近い極めてレアなケースなんだそうです。常にそうしたことをしている訳ではないのでカン違いしないよーに、とのことですので皆さんもどうそ誤解なさらぬよう・・・。

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2005年2月11日 (金)

震災におけるラジオの役割

 きょう、新聞のラジオ欄を見ていたらラジオNIKKEIで「震災におけるラジオの役割」という特別番組があるのに気づき、慌てて短波ラジオをつけました。気づくのが遅れたたので、1時間ほどは聞き逃したのですが(^^;
 内容は民放各社が一堂に会した「ラジオフォーラム」の録音中継で、地震や水害などの災害報道を経験した社(新潟放送、FM鹿児島、東北放送など)や来るべき災害に備えている社(静岡放送、TBSなど)がパネラーとなり、それぞれの経験や取り組みを語っておりました。司会役は当然というべきか、ラジオ関西でした。
 当事者によって語られる内容は大変聴き応えがあり、最初の1時間を逃したのが返す返すも残念でした。内容を聞いていてラジオならではの強みと感じたのは、リスナーから情報が寄せられて災害報道が進んでいくという点。報道部を持たないFM鹿児島が災害放送を続けられたのはリスナーの力だったそうで、これはテレビでは絶対にまねが出来ないと思います。背景には電リクの受付番号が浸透していてリスナーが電話をかけやすいということがあります。また、マニュアルがあっても想定を超えるような事態が発生し、それこそが災害なのだということを話していた社がありました。言われて見れば確かにそうでしょうね。ラジオ関西では地震発生時に読み上げる定型の原稿(落ち着いて云々とか・・)を事前に準備していたそうですが、あの阪神淡路大震災ではスタジオが非常灯のみのため暗く、その原稿がとても読みづらかったとのこと。その経験を踏まえ、原稿は文字を大きくしているそうです。
 話題は放送中断への対応、リスナーの要望の受け止め方、取材体制、他社との連携など多岐に渡りましたが、各社とも災害のときリスナーとどう向き合い、どうすればリスナーの命を救うことができるかを考えており、とても心強く感じました。そして最後はラジオ関西が次のように締めていました。

『ラジオは大災害の直後だけスポットライトが当るメディアであってはならない。ラジオ自体の魅力を高め、ぜひともセッツ・イン・ユース(全局聴取率)を高めることに業界を挙げて取り組む。その中でいざと言うときにいちばん頼り甲斐のあるメディアという位置づけにつなげよう』

 その意気があれば大丈夫。ぜひラジオの活性化に向けてがんばって欲しいと思います。

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2005年2月 8日 (火)

「奈保子はアーティスト」啓蒙の道のり

 先週こんな記事をエントリーしたら、他のファンサイトでも関連することが書かれていたりします。

河合奈保子音楽夜話日誌 2005/2/6
河合奈保子FanSite Side-B BBS No553

 特に音楽夜話さんのところでは「T2U音楽研究所」でのコラムを受けて、「河合奈保子はアーティストである」ということをどう普及啓蒙するか、に話が及んでおります。

 「奈保子はアーティスト」を広く認知してもらいたいという思いは皆さんと一緒ですが、現実としてはなかなか難しいものがあるのも事実であります。
 実は以前こんなことがありました。とある女性シンガーソングライターAさん(常連のかたは分かりきっているかとは思いますがあえて名前は出しません)のファンサイトで、そのファンのかた二人とチャットで鼎談をしていたんですね。奈保子ファンである私としては、シンガーとしての実力・魅力を知ってもらいたいですから「提供曲は提供先の歌手のテイクでも聴いてみて」と振ってみたのです(Aさんは奈保子さんに楽曲を提供しています)。しかし、二人とも「はっきりいって興味ないなー。ごめんなさい。」という返事。それだけならまだしも「容姿(※具体的なことはあえて書きません。みなさんの想像どおりです)は良かったなー」というような主旨のチャットが打ち返されてきたんですね。
 Aさんのコアなファンになるぐらいの方だから、音楽的に感度の高い方だろうと思っていたのですが、奈保子さんに関して音楽性を抜きにして容姿の話を持ち出してくるとは・・・。怒り心頭、とまではいきませんが落胆するとともにかなりムッとしましたね。まあ、そこで逐一反論したとしてもチャットでは埒があかないでしょうし「イヤなことがあってもゴクンと飲み込んでしまう奈保子さん」のファンが取り乱してはいけないと思い、ここはぐっとこらえて「それは奈保子さんの魅力のひとつにすぎませんから」とだけコメントして流したんですが。Aさんのファンすべてがそうではないのでしょうが、とてもとても残念な出来事でした。

 そういうわけで、「奈保子はアーティスト」の普及啓蒙の道のりは長いように思いますが、「青春歌年鑑」のようなコンピ盤で良さに気づいていただける若い世代のかたも確実にいらっしゃることもまた確かでありまして、その方面に期待してしまいますね。むしろ、当時リアルタイムで接していた世代よりも若い世代のほうが、先入観なく聴いていただけるので気づいてもらいやすいのかもしれません。  

 私としては、派手なことは出来ませんが、少しでも奈保子さんの再評価につながることをしていきたいですね。80年代バラードコンピ盤「エターナル・バラッズ」を推している理由のひとつもそこにあります。本当は、ここに音源を置いてその素晴らしい歌唱を聴いてもらるように出来れば分かりやすいのですが、これはご法度ですからね、ちょっと歯がゆいです。

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2005年2月 3日 (木)

節分と恵方

 きょうは節分。節分の風習といえば豆まきが定番ですが、ここ数年で恵方巻が大ブレイクしてますね。どこのコンビニエンスストアやスーパーに行っても恵方巻の宣伝があふれています。その年の恵方を向いて巻寿司(恵方巻)を食べ無病息災を祈るというのはもともとは関西地方の風習だそうで、関東育ちの私はまったく知らなかったのですが、ここまでメジャーになるとは・・・。まあ、バレンタインデーとかホワイトデーと同じく、業界に乗せられているだけという気もしますが。

 節分の恵方巻については、大阪出身の河合奈保子さんも1983年の自著のエッセイ「わたぼうし翔んだ」で「ヘンテコリンな光景」と触れておりますね。

『食事中は、いっさいしゃべってはいけません。お茶を飲みながら、ただ一心にモグモグと口を動かすのだけれど、それは一種異様な雰囲気で、あまり格好のいいものではありません。  家族四人が、巻寿司を手に持って、うつむきかげんで食べてる姿---想像するだけでもくらーくなりそうでしょ?』
~「わたぼうし翔んだ」恵方とイワシの頭 より

 エッセイによれば、当時関東で馴染みのなかった風習だったことからか、当時のマネジャーさんにそのヘンテコリンな光景を誇張されてあちこちに話されたりしたようですが、ここまでメジャーになればそういうことも無くなるでしょうね。奈保子さんのご家族はこの風習、今もされているのかなあ。どちらにせよご家族の無病息災をお祈りいたします。

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2005年2月 1日 (火)

電車開業110年

 今から110年前のきょうは、京都に日本で初めて営業用電気鉄道が走り始めた日であります。1895年2月1日、京都電気鉄道株式会社(京電)により東洞院塩小路下ル(七条停車場)と伏見油掛通の間が開通しました。
 京電は何から何まで初めてだったことで苦労が多かったようです。用語もそのひとつで「運転手」は京電の生み出した言葉です(それまでの汽車は機関士、馬車は御者)。車掌が運転手に送る鈴の合図も京電が考え出したもので、「チン」で停車、「チン・チン」で発車というルールは後に続く事業者へ広がりました。
 しかしいちばん大変だったのは開業時、条例で「告知人」(通称・先走り)を置くことを義務付けられたことでしょう。道路上を走る電車の危険性が大衆に認知されていないという理由で、人通りの多いところでは電車の前を赤旗を持った告知人が「危のおっせ、のいておくれや」と叫びながら走ったそうです。ところが、危険を知らせる役であるはずの告知人が事故にあう事態が相次ぎ、のちに車体正面に救助網を取り付けることを条件に告知人制度は廃止されています。
 動力源の電気も悩みの種だったようです。開業当初は琵琶湖疏水を水力源とする蹴上発電所から電力供給を受けていましたが、日本初、世界でも2番目の水力発電所ということもあってか技術が未熟だったようで、送電電圧が変動して電車のスピードが安定しなかったそうです。しかも毎月1日と15日は発電機の点検整備のため休電日となっており、必然的に京電も運休日でした。結局、のちに自前の火力発電所を建てて電力問題を解消しています。
 
 何かと苦労が多かった京電は、後から開業した市営電鉄(京都市電)との競合で収益が減り、結局「市内交通一元化」の掛け声のもと京都市に買収されてその歴史を終えてしまうのですが、京電の成功が現在の新幹線へと繋がっているわけで、そう考えるとなかなか感慨深いものがあります。

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