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2004年8月30日 (月)

万葉線に乗る

 所用で北陸へ行ってきましたので恒例?の乗り物紀行シリーズ。今回乗ってきたのは高岡の路面電車・万葉線です。
 この路線は万葉線株式会社という第三セクターが運営しております。鉄軌道事業会社なのに「鉄道」とか「電鉄」とかつかず単に「万葉線」というのは珍しいですね。もともとは加越能鉄道という会社が運営していたのですが、ご多分に漏れず乗客減で運営が苦しくなり、沿線の市や市民が存廃を議論した結果、2002年より市などが出資して新たに設立された第三セクターに経営が引き継がれています。赤字が避けられない中での市の出資ですが、下手な公共施設を作るのに比べれば遥かに利用者が多く負担のしがいがあるということで決断したそうです。だいたい日本でこの手の話が出ると採算が第一にきて、黒字の見込みがないから廃止というのがお決まりのパターンなのですが、環境、福祉、まちづくり、定時性などを総合的に判断して存続させたことは大変に意義深いです。そもそも現在では大都市の一部を除けば公共交通で採算をとろうとすること自体がナンセンスというもの。諸外国では独立採算制などとうの昔に放棄しており、運営費への公費投入は当たり前、運賃収入など費用の数割に過ぎないほうが普通です。もちろん公費投入が出来るのは公共交通は皆で支える必要があるというコンセンサスが出来ているからですね。

 さて、万葉線のスタートは高岡駅前。「市民が支える路面電車」というキャッチコピーが泣かせます。
takaoka1.JPG
これは単なるうたい文句ではなく、実際に第三セクターには市民も1割程度出資しているのです。ただ「廃止反対」を唱えるだけではないところが一味違います。さらに、新生万葉線をイメージづける新型車両の購入に際しても市民から募金が寄せられています。で、その新型車両ですが訪れた日はなんと運休日(泣)。くやしいので車庫で写真だけ撮ってきました(^^;。奥で休んでいる丸みのある車両がそれなのですが、床が低くてステップがなく乗り降りしやすいのが売りです。
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 さて、そうした新車もあるのですが基本的には前の会社から廃止寸前の状態で車両と設備を引き継いでいるので、残念ながらハード面でのレベルはあまり高くないです(^^; 車両は基本的に非冷房のいかにも旧型といった感じのものですし、線路も整備状態がよくないのか区間によっては結構ゆれます。そして、これはなんとかしたいと思うのが高岡市街中心部に残る通称「平面電停」です。停留所といっても車道にペンキで枠を書いて「電車のりば」と表示しているだけというもの。
takaoka3.JPG
 ここはぜひ柵付きの安全地帯を整備して欲しいところです。でないと乗降(特に降りるとき)が危なっかしくて・・・
もちろん、こういう電停で正直に道の真ん中で電車を待っていたら大変なことになりますので、普通は歩道で待機していて電車が近づいたら「のりば」に移動します。そのとき道にクルマがびゅんびゅん走っていた場合は・・・。乗り慣れている方は絶妙のタイミングでクルマをかわすのでしょうが、私は手を振って無理やりクルマを制止させてしまいます。ドライバーからすれば迷惑に思うかもしれませんが、そもそも電車が停留場で客扱い中は諸車停止が法令で定められていますので、止まらないクルマのほうが悪いのです。

 第三セクターでの存続を選択した万葉線ですが、まだこれからの点もある反面、乗り易さを目指して運賃やダイヤの見直しなど努力もされていますし、何より行政と市民が一体となって残していく初のケースですのでぜひ定着・成功して欲しいと思います。そしてドイツ・フランスを中心とした海外のライトレール(次世代路面電車)の視察ばかりして一向に新路線開業を具体化しない地方自治体の役人・議員は高岡・新湊両市の姿勢を見習うべきですね。まず採算ありきじゃできっこありませんよ・・・。聴こえないでしょうけど(笑)。

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2004年8月27日 (金)

案外世間は狭いもの

 このところ、不思議と河合奈保子さんに縁のある方と出会ってたりします。

 先日は、とあるサイトでチャットをしていたら「私、河合奈保子さんの妹さんと同じ中学出身です」という女性とめぐり合いました。「え、じゃあ出身は粉浜ですか?」と訊いたら「いえ、新宿区です」とのこと。81年10月に奈保子さんが大怪我で入院したことをきっかけに転校した先の中学ということですね。卒業後に妹さんが転校してきたので直接はご存じないそうですが同窓会かなんかでは結構大騒ぎ?になっていたそうです。

 また、先週は「タツノコ座旗揚げ公演」を観に新宿・ソワレへ出向いたわけですが、終演後カウンターで飲んでいたときにお隣になった女性がなんと大阪・粉浜出身。ソワレさんも身を乗り出して「え、じゃあ住吉一中?」なんて訊いていたのですが、残念ながら小学校に入学する前に堺に引越しされたそうで学校が一緒になることはなかったということです。それでも奈保子さんがデビューしたときは「えー、粉浜の子がデビューしたんだ」と家の中で話題になったとか。

 こうした縁のある方とめぐり合うと何故だか嬉しくなってしまいますね。別にだからどう、という訳でもないのですが(笑)

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2004年8月24日 (火)

いつの間にかリンク集に

 当店のページはアクセス解析を仕込んであり、ご来店の時間帯や訪問元、検索のキーワードなどを参考にしております。で、先日訪問元URLをチェックしていたら、こんなところからご来店されていました。

アイドルリンク集
http://chano.dip.jp/~idol/

 「か行」に河合奈保子さんがあって、そこに当店が登録されているんですね。どのような方が運営されているか存じ上げませんし、登録依頼もしておりませんので、管理人もしくはご覧になっている方のご好意だと思います。
 もちろん、当店はリンクフリーを宣言していますからリンク自体に何の問題も無いわけですが、いままで相互リンクは別としてこちらからなんのお願いもせずにリンクしていただいたことはなかったのでちょっとビックリです。なんせ検索サイトでもなかなか引っかからないようなところですから・・・。当店も開店から10ヶ月近くを経て、それなりに認知されてきたということでしょうか(笑)。
 まあ、元々ウチはあんまり派手にやろうと思ってはいないのですが、こうしたことがきっかけで少しでも輪が広がるならば大いに結構なことだと思います。

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2004年8月22日 (日)

ソワレ一座・旗揚げ公演

 8月20日の夜、新宿「ソワレ」に行ってきました。ライブがあったんですが、これが普通のライブではなくて寸劇仕立てというもの(オペレッタショーというらしいです)。ボーカルのソワレさんに、ヴァイオリンのカジカさん、ヴィオラのトビウオさん、ピアノのアヤさんを従えた「タツノコ座」の旗揚げ公演ということなんですが、大いに笑わしてもらいました。
 皆さんそれぞれ音楽はプロなんですが演劇は・・・ということで、そのドタバタぶりはご想像いただければと思いますが(笑)、曲を盛り上げるための演出ということで楽しかったですね。状況設定とかせりふとかが次の曲(の歌詞)につながっていくスタイルで、かつての人気テレビ番組「今夜は最高」をふと思い出したりもしました。歌唱と演奏はプロですからもちろん本格です。生演奏の弦楽器を聴いたのは久々だったなあ。
 劇中歌(!)は基本的にいわゆるシャンソンですが、男女関係にまつわるサスペンスという筋書きだったことから「けんかをやめて」も登場。河合奈保子さんに影響を受けた片鱗がこんなところにも出るのですね。
 ちなみに上演後のお話では、狭いスペースに大勢(14人前後)お客さんが来たため、本来予定していたほど動きのある寸劇が出来なかったとのこと。既に第2回、第3回の予定もあるとのことで、さてどうなりますか。

 ライブが終わったあとは4時すぎの閉店まで呑んでいたのですが、2時ごろだったか、すでに出来上がった状態で訪れたお客様がご来店になって開口一番「シャンソンバーなのにシャンソンが掛かっていない」と言い出しました。実はそのとき店内に流れていたのはザ・ピーナッツ。思いっきり歌謡曲だったわけですが、「ソワレ」はそういうお店でありまして、要はなんでもありみたいです。そもそもシャンソンとは仏語で「歌」という意味であり、狭く捉える必要はないとのこと。この後に流れたのも1968年のNHK紅白歌合戦の音源だったり(笑)。今や大御所の方々の若い声やその上手さに盛り上がってました。
 音楽って、あまり型にはめようとせず、自由に楽しむのがいいなと、私も思います。

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2004年8月20日 (金)

最近のソワレさん

 以前ご紹介したソワレさんですが、ご自身のHPの日記コーナーで最近のことを綴っておられます。なんか河合奈保子さんどっぷりの状態みたいです(笑)。
 こうして堂々と(笑)奈保子さん漬けの毎日を公表しておられるのは何だか嬉しくなってしまいますね。まあ、ご本人にすれば「今の自分があるのは奈保子さんの影響」と言い切っているぐらいですから、ごく自然なことなのかもしれませんが。
 ただ、ソワレさんの「現職」はシャンソン歌手ですから、私としては「奈保子さんのファンで、カンペ無しで歌って踊れる」ことだけに注目してしまうのもどうかなと思うところがあります。新宿のお店では奈保子さんのお話で盛り上がったとしても、やはりシャンソン歌手として応援したいですね。実際、ソワレさんの歌はすばらしいのですから。

 ところで私もファンになってそろそろ満2年ですが、最近は堂々と誰に対しても「河合奈保子さんのファンです」と言えるようになりました。別に恥ずかしいとか隠しているというわけではなかったんですけどね、やはり1年目というのは「ファンになったつもりでも、実は違うかもしれない」と自分で自分の様子を見ていたところがあります。2年目に入って、このお店も開いて、音源も各種取り揃えて、他の歌手もいろいろ聴いてみたりして、「やっぱり間違いない、私のホームルームは奈保子さん」だと確信できるようになってから公言するようになりました。周りの方は年代的にご存じない方が多いですが・・・・(苦笑)。好きなものを好きですと言えることは、幸せなことだと思っています。

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2004年8月18日 (水)

夜間のココログが不調です

 本館トップページでも触れたのですが、最近また夜間帯の「ココログ」の動作が不調でありまして、思ったような更新(投稿)が出来ない状態です。
 閲覧には支障は出ていませんが、管理画面が重くなったりします。
 そして、個人的にちょっとこれはと思うことも発生・・・
 どうも、夜間でシステムに負荷が掛かってくると、新着記事情報の吐き出しが止まる(止めている?)ようなのです。ココログのトップページ「ココログナビ」の新着記事一覧を見ると、21時台とかで止まっている日が多いです。
 負荷集中時にはページ閲覧や記事投稿など、基幹的な動作を優先させるという考え方は分からなくもありません。しかし、新着記事情報の更新が止まっている時間帯に投稿した記事は「ココログ全文検索」とか「ココログル」で検索対象にならないようでして、これが困り物なんです。せっかく投稿しても検索では来て貰えないですし、この雑記帖内の検索も「ココログル」を利用する形をとっていますので・・・
 対策としては夜間を避けて投稿するしかないのですが、さりとて早起きして書くなんて出来ないし・・・。困ったもんです。テキストエディタで夜間に文章だけ作っておいて、翌朝アップロードなんて方法がいいのかもしれませんね。
 そんなわけで、この雑記帖の更新間隔が開いているときは、「システムの不調」か「がんばらない」ことによるかのどちらかです。ご了承くださいませ(笑)。

 ☆ ☆

 談話室9号室「奈保子さんと亜美さんのつながり」に少し書き足しました。「MY SONG FOR YOU」に触れていなかったのに気がついたものですから・・・。

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2004年8月15日 (日)

ラジオに始まりラジオに終わる

 今日8月15日はいわゆる終戦の日。敗戦でも降伏でもなく、終戦と言い張ったのは時の政府がそれまでに数々の言い換えを生み出してきた一連の流れの延長上にあるのでしょう。

 さて、終戦といえば玉音放送があまりにも有名。先の戦争は、始まりも終わりもラジオが告げたのでした。しかし、玉音放送だけがクローズアップされますが、これは「終戦プロジェクト」の要ではあるものの、決してそれだけではない一連の実行計画のひとつととらえたほうが良いようです。
 玉音放送の発案は宮内省関係者とも天皇御自身とも言われていますが、実際のプロジェクトを組み立てたのは内閣情報局総裁の下村宏と言われています。下村氏は新聞社から放送協会に転身した後、情報局総裁となった人物であり、新聞とラジオの特性を熟知していました。全国一斉に戦闘行為を停止させ、かつ軍部の反乱を抑えるためには同時に全ての国民に情報を伝達する必要があるとされました。同時に情報を伝えるにはラジオ以外に考えられませんでしたが「送りっぱなし」という弱点もあります。リアルタイムで聞いていない人には直接伝わらないし、口伝えさえるうちに情報が化ける可能性もある訳です。一方、新聞は記録性という点でラジオを圧倒する強みを発揮します。回し読みされることで同じ情報が伝わるし、何より信頼感のあるメディアとして君臨していました。そこで考えられたプロジェクトは次の通りです。
・8月15日正午から玉音放送を実施する。
・8月15日の放送開始時からくり返し「正午の御放送」を予告する。
・昼間は家庭に送電していない地域でも放送時間帯には電力を供給する。
・送信所の送信出力を可能な限り大きくする。
・駅など人の集まるところでラジオを流すよう呼びかける。
・8月15日付朝刊の発売・配達を正午の放送終了後とする。

 放送を正午としたのは単に区切りがいいというだけではなく、最も聴取率の良さそうな時間であることも考慮してと言われています。電力供給については、当時の真空管式ラジオは電気が来ないとタダの箱になってしまうからですね。そして肝は新聞の発売タイミングです。事前に詔書全文を新聞社に渡し、終戦の記事を載せた朝刊を刷らせた上で、放送終了後に間髪を入れず発売する。ラジオによる情報を新聞で再確認させることにより終戦が間違いないことを認識させようという訳です。予告放送では「なお都合により今日の朝刊は遅れる」と付け加えています。

 このプロジェクトは、その動きを察知した軍部の一部が起こしたクーデターにより、東京・内幸町の放送会館が反乱兵に占拠され、5時の放送開始が遅れるという波乱の幕開けとなります。東部軍の説得に応じて反乱兵が退去し、ようやく放送が開始されたのは7時20分を過ぎてからでした。第一声はもちろん正午の放送予告です。
 以後プロジェクトは予定通り進行しますが、肝心要の玉音放送自体はその内容がよくわからなかった人が多かったといわれています。「勝つために奮起せよ」と呼びかけていると勘違いした人もいたらしいです。録音盤の音質が悪かったとか、受信状態がよくなかったとか色々言われますが、大きな要因は詔書そのものが漢文調で難解だったことと、負けたことを遠まわしにしか言っていないことだと思います。詔書では敗戦そのものについて

「朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」
としか触れていません。共同宣言とは無条件降伏を勧告したポツダム宣言のことですが、そもそも政府はこれを「黙殺」しており、よってメディアも大きく取り上げずその意味するところが国民には知られていなかったと思われます。
 それでも、それまであり得なかった天皇自らの声が流れたことや、その後アナウンサーによる詔書代読や終戦に至る経緯の説明が放送されたこと、追いかけるように「終戦の詔下る」と新聞が発行されたことで、千島列島など一部を除きプロジェクトは目的を達成しています。

 ちなみに、終戦の日は8月15日とされますが、根拠となる詔書「終戦の詔」は8月14日付けです。15日は報道発表された日ということですね。


玉音放送を録音したCDを入手したものですから、こんなことに触れてみました。


#終戦の詔書全文がこちらに掲載されています。平仮名書きにしてあるので読みやすいですが、これを耳で聞いたら・・・。
<<終戦の詔書>> ~<<ライナーブログ>>


☆追記
 その玉音放送について東北放送がラジオドキュメンタリーを制作し、平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭ラジオ部門の大賞を受賞したということです。
 来週はスペシャルウィーク ラテログ的注目点2006年2月
   ~ラテログ

☆さらに追記(2008/8/15)
 当日の新聞の配達に関する予告について、追加記事を書きました。⇒再び玉音放送について

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2004年8月12日 (木)

「がんばらない」という選択

 先日の『「がんばる」とは』という記事について、なおとさんに続いて匿名希望さんからもお便りを頂きました。
 お二人とも「いまの各ファンサイトを充分楽しませてもらっています」というトーンで、ファンサイト管理人の端くれとしてはありがたい言葉だったのですが、匿名希望さんのお便りにはハッとしてしまいました。

『何事もそうだと思うのですが、「がんばる」=「余裕が無い」だと思うのです。 そして、奈保子ちゃんは今、「がんばっていない」と思います。 ゆったりと、ご家族と自然にすごしていると思います。 そんな奈保子ちゃんを、これまた「がんばらず」に、ゆったりと見守るサイトがあっていいと思うのです。』
 私も「静かに応援していきたい」なんて書いておきながら、どこかで「がんばろう」としていたところがあります。  雑記帖の間隔が開かないように何か書かなきゃ、  でもどうしたら河合奈保子さんの話題につなげられるだろう、  バースデーはやっぱり盛り上げないとなあ、  雑記帖ばかりで談話室が進まないなあ・・・ それらは決して苦痛ではなく、楽しみのひとつとも言えたのですが、心にゆとりを持つという感じでもありませんでした。

 しかし、今回のお便りに接して「がんばらない」という選択肢もあるのだ、ということが認識できて、正直に申してほっとしました。最近「どこまで続けることができるだろうか」と自分でも思うときがあったのですが、心にゆとりを持ち「がんばらない」ことで長く続けられそうな気がします。

 もちろん、「がんばってほしい」というかたもいらっしゃる訳ですし、その想いもわからないではありません。私は後追いファンです。ファンになってまだ2年も経ってませんから、まだゆったりと見守る余裕を持つこともできそうです。でも後追いでないファンの方はもう8年も奈保子さんのことを待ち続けているんですよね。「もう待てないよ」という声が聞こえてきそうです。

 でも先のお便りを読み返したりして考えるに、あまりに「がんばって」しまうことはかえって奈保子さんにプレッシャーみたいなものを与えてしまうような気もして、ここはやはり「静かにゆったりと見守る」というスタイルが当店には合っているのかなあと思った次第です。


 ただ・・・完全版DVD-BOXの件だけは”大きな流れ”が出来るといいなと思っています。これは奈保子さんご自身が「がんばらなくても」実現可能なのですから。

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2004年8月 9日 (月)

ヒロシマに1番電車が走った

 今日8月9日は長崎原爆忌。広島にくらべると注目度が低く感じられるのは、広島の後だからなのか、原爆ドームのような象徴的建造物がないからなのか、怒りの広島にたいして祈りの長崎だからなのか・・・。
 で、今日なんですが広島の復興の第一歩となる出来事があった日です。あまり知られていませんが、8月9日は壊滅した広島電鉄の市内線(路面電車)が運転を再開した日として記録されています。復旧区間は本線のごく一部、市内西部の己斐から西天満町のわずか1キロ足らずでしたが、被爆からわずか3日後、一面の焼け野原に運転された電車をみて、生き残った市民は大いに力付けられたと伝わっています。これほど早く復旧できたのは、生き残った社員の懸命の努力のほかに、広島電鉄が宮島線という郊外電車も運行しており、爆心から離れた宮島線の設備は被害が比較的小さかったということもあります。例えば、9日の時点では壊滅した市内線用の電力設備に代わり、遠く廿日市変電所からの送電により運転をしています。その後の復旧も驚異的で、その年の12月までには本線の大部分で運転を再開しています。
 
 この9日に復旧した電車に乗務した車掌の手記を基にして、NHKで「ヒロシマに1番電車が走った」というアニメーションが制作され11年前の8月6日に放送されています。このころ車掌を務めていたのは広電直営の女学校の14,5才の生徒。召集が相次ぎ人手不足となったことから、"働きながら学ぶ女学校"を設立して生徒を集め、授業の無い時間は生徒は車掌として働き、のちには運転まで行うようになりました。学費は給料から支払われるという仕組みです。
 このアニメでは避難所にいる生徒を運転再開にあたり車掌として乗務するよう説得する教師にこんなせりふを言わせています。
生徒「あっちは地獄じゃ。地獄へ行く電車には乗りとうない」
教師「地獄に電車は走らない。だからこそ電車を走らせる。ここが地獄じゃあないことを、皆に知らせて欲しいんじゃ」

 手記を基にしているとはいえせりふはフィクションでしょう。しかしこのせりふには街の復興にかける当時の関係者の気持ちが凝縮されているように感じます。電車に限らず、生き残った市民は懸命に生きようとし、復興に奔走しています。その番組の最後はこう締めくくっていました。
 「原爆は一瞬にして街を壊滅させた。けれど人々の生きようとする心まで消し去ることはできなかったのだ」と。
 

 戦後、60年代に急速に日本を覆ったモータリゼーションの波に、多くの都市が路面電車を「時代遅れ」「道路の邪魔もの」と決め付け排除してきた中、広島は電車擁護に動き、今も市内交通の大動脈です。その背景には、一番苦しかったときに市民を力付けた電車に対する愛着があるのかもしれませんね。以前広島を訪れたときの、広島駅前ターミナルから間断なく発車してゆく電車の様子を思い出して、そんなことを思ったのでした。


#電車復旧の経緯や、直営女学校についてはこちらも参考にどうぞ
 広電本社前--路面電車撮影 ~ 雑記帳@F-Page広島
 雪と原爆とチンチン電車 ~劇的な人生

【2010.8.6追記】
 この番組は現在、NHKアーカイブスで公開されています。

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2004年8月 8日 (日)

第36回思い出のメロディー

 昨日8月7日にNHK総合とラジオで放送された「思い出のメロディー」。ご覧になった方はいらっしゃるでしょうか。いま話題の蹴球中継の裏でしたが(^^;。
 大晦日恒例の紅白歌合戦が、その出演者や選曲について何かと議論を呼ぶのに比べて、この「思い出のメロディー」は安心して見ていられます。(^^) 私にしたって後半(21:00~)の曲はほぼすべて歌えましたからねえ。(^^;
 で、私の感想をいくつかピックアップ・・・

*尾崎紀世彦/また逢う日まで
 歌唱力はさすがですねえ。でも、「♪二人でドアを閉めて」の部分は本来の譜割りどおりに歌って欲しいと思うのは私だけでしょうか。
*杉田かおる/鳥の詩
 このところテレビのトークバラエティーでしか見ていなかった杉田さんですが、歌、いけますねえ。歌声に当時のみずみずしさが残っていたのには驚き。そして、ライブ盤「Naoko in Concert」での河合奈保子さんの歌唱がふっと湧きあがってきました。
 ただ、歌の前の綾小路きみまろによる"いじり"は余計です。紅白でも見られる放送協会の悪い癖ですな。
*渚ゆう子/京都慕情
 この曲がベンチャーズ作曲であることを知ったときの驚きは今でも忘れられませんが、改めて聴くとベンチャーズって本当に日本が好き(ごひいき)なんだなと思ってしまいます。日本人が作るもの以上に歌謡曲してますね。ま、いまだに日本でライブツアーをすればお客さんが大勢集まってくるのですから日本の印象が悪い訳ないでしょうが(笑)。

 さて、これからあげる3人は「レッツゴーヤング歴代司会者の同窓会」の企画内でのご出演。
*石川ひとみ/まちぶせ
 最近も奈保子さんの映像が流れた7月14日の「速報!歌の大辞テン」で拝見しましたが、歌声は相変わらずでいいですねえ。
*石野真子/ジュリーがライバル
 歌う姿を見たのは私にとっては久しぶり。最近では映画「解夏」での上品なお姉さん役が印象深いですが。ステージで歌う姿は「変わらないなあ」と言う感じです。今回の全出演者の中では今の奈保子さんに一番イメージが近いんじゃないかなあ。って、見たことないですけどね、多分・・・。「春ラ!ラ!ラ!」を歌ってくれたらなあ、というのは奈保子ファン心理ですかね。
*榊原郁恵/夏のお嬢さん
 奈保子さんの所属レコード会社の先輩ですが、この曲を歌うのは15年ぶりなんて話していましたね。カラオケではよく歌っているんだそうですが。奈保子さんはカラオケなんか行ってご自分の歌を歌われることはあるのかなあ。それにしてもこの曲を何のてらいもなく歌いきる郁恵さんはさすがです。
 
*松坂慶子/愛の水中花
 番組の司会者でもあります。作詞者の五木寛之さんがレコーディング当時のエピソードを語っておりました。
「女優さんが歌うというんで失礼ながら心配していたけど、実際にスタジオで録音に入ってみるとリズム感はいい、音程は正確、譜面はバンバン読めるし本当にビックリした。伺ってみたら小学校の頃から児童合唱団で散々鍛えてきたというキャリアの持ち主だと。なるほどと納得した。」・・・馬飼野康二さんが"JEWEL BOX2"で語られた奈保子さんの初レコーディングのときのエピソードにも通じるものがありますね。

 とまあ、いくつかピックアップしてみましたが、そのほかに感想をあげられているBLOGがありますので参考にどうぞ。
 ・NHK 思い出のメロディー ~わくわく日記
 ・どんじゃらほい ~今日のひとネタ・午前零時の旋律/太陽別館
 なお、衛星では再放送があります。興味のあるかたはご覧になってみては。

 ところで、奈保子さんも回顧系のテレビ番組からは色々とオファーを受けているらしいですが、民放のそれはやはり不安でしょうね。どういじられるか分からないですから。その点、「思い出のメロディー」は仮にお出になるなら好ましいかと思います。ご本人の意思が大前提ですが・・・。

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2004年8月 7日 (土)

夏・長崎から

 今年もまた、この季節がやってきました。昨日は8月6日、言わずと知れた広島原爆忌でした。テレビ番組はというと、関東では民放さんはニュース枠での対応だけだったようですが、NHKはいくつか特番を組んでおりました。
 そのひとつが衛星第二の「2004 夏・長崎から さだまさしコンサート」生中継でした。「さだまさしコンサート」となってますが、実際にはさださんはホスト役であり、呼びかけに賛同してくれるアーティストを招いての「野外イベント」に近いものです。「広島原爆の日に長崎の地から歌うことで、その時間だけでも平和について考えるきっかけになればってくれれば」ということで回を重ねて18回目。あえて9日(長崎原爆忌)でないのは何かのこだわりなんでしょうか?。毎年のように訪れるかたも多いそうですね。私はテレビを通じてしか知りませんが・・・
 中継は20時からですが、コンサート自体は17時開始なのですでに終盤に近い雰囲気。で、山崎まさよしさんの演奏中から始まりましたがすぐにさようならで、あとはさださんが締めということでアンコールも含め歌い続けておりました。曲は最近の社会情勢を反映して重めの内容のものが並んでいましたね。強い危機感があるようです。いつもの「落語の枕話」並みのトークもやや控えめのような気がしました。出演者全員で歌ったラストソング「祈り」にはおもわずこみ上げてくるものが・・・。
 ちなみに、コンサートの模様はいずれダイジェスト版が地上波で放映されるはずですので、興味のある方はご覧になってみては・・・。ダイジェスト版はゲストの映る比率が高いのでさださんが苦手なかたも見られると思います(笑)。

 ところで、中継を見ていて「たいせつなひと」はいまの河合奈保子さんに似合うんじゃないかなあなんて思ったりしました。映画「解夏」のテーマ曲ですが、ぐっと大人になった今、こうしたスケールの大きな歌を歌っていただけたらなあ、なんて・・・。ご本人は休業中なのにこんなことを考えるのも変かもしれませんけどね。
 そして、仮に歌手活動を再開されるならば、こうしたステージに立つのも似合うのではないかなあと思ったりしたのでした。そのときは持ち歌で参加ということで、ネ。

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2004年8月 4日 (水)

「がんばる」とは

 7月の中ごろでしたか、とあるファンサイトに「各ファンサイトの管理人さんはもっとがんばろうよ。でないと完全版DVD-BOXは実現しないよ」というような呼びかけがありましたね。実はそれを見て考え込んでしまいました。
 がんばるって、なんだろう。何をすればよいのだろう・・・
 私は、後追いファンなりに思うところがあって、いまのサイトを「開店」しました。大した内容こそありませんが、少しでも河合奈保子さんのすばらしさが伝わったらいいな、輪が広がったらいいなとと思ってやっているつもりです。そして、BBSを置かない代わりに、後追いゆえのネタ不足に悩みながらも、こうして駄文を雑記帖に綴っていたりします。
 各サイトをご覧になっている立場の方からすれば今ひとつ盛り上がりに欠けると感じる点は、わからないでもありません。ウチにしたってとりたてて積極的な展開はしてませんし・・・。
 しかし、ご覧になっている方からの反応も弱くなっていることも隠せない事実でありまして、これは管理人だけがんぱってリカバーできるものではないような気がします。管理人のがんばりが足りないから反応が弱いのか、反応が弱いから管理人ががんばれないのか・・・。鶏と卵の話になってしまいますが、サイトが盛り上がりには書き手と読み手の連携・コミュニケーションが必要かと思います。
 それと・・・、完全版DVD-BOXについていえば、ファンサイトという狭い世界だけ盛り上がっても、という気がします。その盛り上がりが一般社会で認知されないことには・・・。完全版BOXについては以前から「たのみこむ」に企画提案がされており、ファンサイト上で投票の呼びかけもされている割には、賛同者数は遅々として伸びません。
http://www.tanomi.com/metoo/naiyou.html?kid=28300
 これが現実なんです。ぜひ実現させたいと皆さんが思っているなら票が伸びて当然なんですが、どうしてなんでしょう。一票を投じた私としては歯がゆいですね。これも、管理人のがんばりだけではいかんともしがたいところだと思います。

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2004年8月 1日 (日)

7月を振り返って

 7月は14日(水)にNTV「速報!歌の大辞テン!!」で「スマイル・フォー・ミー」がランクインしたり、24日(土)がバースデーだったりと、ある種「お祭り」状態だったはずなんですが、インターネット上ではそれほど大きな盛り上がりにはならず、みなさん静かにお祝いしている感じでしたね。今日更新した「お便り広場」のように、アクティブに活動されているかたもいらっしゃるのですが・・・
 そんな中で、各ファンサイトでは河合奈保子さんの復帰問題に関する書き込みが比較的目だったような気がします。この件については、皆さんそれぞれの考えが有ると思うのですが、以前「お便り広場」で表明したとおり、当店では当面取り上げる予定がありません。
 復帰問題は、ちょっと大げさかもしれませんが非常にクリチカルなものだと思うのです。皆さんそれぞれに想いがあって、急進派から穏健派まで?様々だと思われます。正面きって取り上げると、意見が割れて険悪な雰囲気になりかねない、そんな気がします。取り越し苦労かもしれませんが・・・。しかし、各サイトの論調に断言調のものが少ないのは、きっとそういうことも背景としてあるのではないかと思います。
 色々な意見があっていいと思います。私も後追いなりの意見は持っています。ただ、ここでそれを束ねるようなことはするつもりはありませんし、実際やろうと思っても出来ないでしょう。それだけの器量が私にはありません。私は「歌手・コンポーザー・女優として河合奈保子さんが好き」という、ただその一点のみで集えるお店作りが出来たらいいな、と思っています。そして、奈保子さんの素晴らしさを少しでも多くの方に伝えていけたらいいなと思います。

 ☆ ☆

 談話室の部屋を増やしました。奈保子さんと尾崎亜美さんの繋がりとかについて、やや強引なものも含めて集めてみました。よろしければ覗いてみてください。

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