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2004年8月 9日 (月)

ヒロシマに1番電車が走った

 今日8月9日は長崎原爆忌。広島にくらべると注目度が低く感じられるのは、広島の後だからなのか、原爆ドームのような象徴的建造物がないからなのか、怒りの広島にたいして祈りの長崎だからなのか・・・。
 で、今日なんですが広島の復興の第一歩となる出来事があった日です。あまり知られていませんが、8月9日は壊滅した広島電鉄の市内線(路面電車)が運転を再開した日として記録されています。復旧区間は本線のごく一部、市内西部の己斐から西天満町のわずか1キロ足らずでしたが、被爆からわずか3日後、一面の焼け野原に運転された電車をみて、生き残った市民は大いに力付けられたと伝わっています。これほど早く復旧できたのは、生き残った社員の懸命の努力のほかに、広島電鉄が宮島線という郊外電車も運行しており、爆心から離れた宮島線の設備は被害が比較的小さかったということもあります。例えば、9日の時点では壊滅した市内線用の電力設備に代わり、遠く廿日市変電所からの送電により運転をしています。その後の復旧も驚異的で、その年の12月までには本線の大部分で運転を再開しています。
 
 この9日に復旧した電車に乗務した車掌の手記を基にして、NHKで「ヒロシマに1番電車が走った」というアニメーションが制作され11年前の8月6日に放送されています。このころ車掌を務めていたのは広電直営の女学校の14,5才の生徒。召集が相次ぎ人手不足となったことから、"働きながら学ぶ女学校"を設立して生徒を集め、授業の無い時間は生徒は車掌として働き、のちには運転まで行うようになりました。学費は給料から支払われるという仕組みです。
 このアニメでは避難所にいる生徒を運転再開にあたり車掌として乗務するよう説得する教師にこんなせりふを言わせています。
生徒「あっちは地獄じゃ。地獄へ行く電車には乗りとうない」
教師「地獄に電車は走らない。だからこそ電車を走らせる。ここが地獄じゃあないことを、皆に知らせて欲しいんじゃ」

 手記を基にしているとはいえせりふはフィクションでしょう。しかしこのせりふには街の復興にかける当時の関係者の気持ちが凝縮されているように感じます。電車に限らず、生き残った市民は懸命に生きようとし、復興に奔走しています。その番組の最後はこう締めくくっていました。
 「原爆は一瞬にして街を壊滅させた。けれど人々の生きようとする心まで消し去ることはできなかったのだ」と。
 

 戦後、60年代に急速に日本を覆ったモータリゼーションの波に、多くの都市が路面電車を「時代遅れ」「道路の邪魔もの」と決め付け排除してきた中、広島は電車擁護に動き、今も市内交通の大動脈です。その背景には、一番苦しかったときに市民を力付けた電車に対する愛着があるのかもしれませんね。以前広島を訪れたときの、広島駅前ターミナルから間断なく発車してゆく電車の様子を思い出して、そんなことを思ったのでした。


#電車復旧の経緯や、直営女学校についてはこちらも参考にどうぞ
 広電本社前--路面電車撮影 ~ 雑記帳@F-Page広島
 雪と原爆とチンチン電車 ~劇的な人生

【2010.8.6追記】
 この番組は現在、NHKアーカイブスで公開されています。

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被爆59年を迎えたヒロシマ・・・ 例年にも増して暑さが厳しくなった昨日8月6日 [続きを読む]

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