2025年3月22日 (土)

ラジオ放送100年

 きょう3月22日は日本でラジオ放送が始まったとされる日から100年でした。今年は昭和100年とも言われますが、ラジオ放送の開始は大正14年、昭和のほうは数え年なので元号が合いませんね。

 以前にも綴ったとおり1925年3月22日は社団法人東京放送局が「仮放送」を始めた日。東京・芝の愛宕山に建設中の局舎は完成しておらず、東京・芝浦にあった東京高等工芸学校を間借りして送信機も借り物で用意した仮設の放送局からの放送だったといいます。そんな仮設の放送局からの放送を急いだのも、大阪放送局が東京に先んじて放送を始めるらしいという情報に反応したためといいます。東京が大阪に遅れてなるものかというメンツのためなので、ちょっとモヤモヤするところはあります。

 1923年の関東大震災で新聞社が被災して機能せずデマが広まったことがラジオの待望論を生んだされていますが、その後ラジオは「大本営発表」という官製フェイクニュースを垂れ流すことになったのは皮肉というほかありませんでした。(ただ、これは通信社も新聞社も同じであり、ラジオだけが責めを負うものではありません。)

 そして今、ラジオを含む既存メディアは「オールドメディア」と揶揄される一方で、SNSという「新しいメディア」によってデマの広がりはより早く大きくなっているというのもまた皮肉なものです。こんな時代だからこそ、オールドメディアという揶揄に負けず「政府から独立し、取材に基づきウラをとった正しい情報」を出す努力をしていただきたいと思います。

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2025年3月20日 (木)

祝49周年

 きょう20日は尾崎亜美さんのデビュー記念日、そして昨19日はバースデーでした。合わせておめでとうございます。亜美さんの公式ブログなどからは来たる50周年に向けての動きも少しずつ伝わってきますが、その分今年は大きなものはないのかなあと(^^; でもコンスタントに活動いただけるのがファンとしては何よりなので、まずはライブの機会がそこそこあるといいなと思います。差し当たっては4月にビルボードライブ(横浜4日、大阪7日、東京25日)があるので、まずはこれらが楽しみ。8月には岡本真夜さんとのジョイントが群馬であります。秋にはたぶん、ホールでのソロライブがあるのでしょう(例年通りなら。)

 物販では、ちょっと変わったCDが3月26日に出ます。

 TWIN-SONGs~尾崎亜美作品集
 (リンク先はタワーレコード)

 2枚組のうち1枚が、亜美さんが女性シンガーに提供した曲の提供先オリジナル歌唱、もう1枚がそのセルフカバーという鏡合わせのような構成で、オリジナルとセルフカバーの聞き比べができるという趣向です。いちおうコンピレーションアルバムの扱いになるみたいですね。2枚組のうち1枚が提供先オリジナル歌唱となるCDとしては2009年に「Amii In The Box」が発売されていますが、このときは亜美さんの音源に提供作のセルフカバーはありませんでした。今回の音源は既出ですが企画が面白いのと、河合奈保子さんの「微風のメロディー」も含まれていることへの感謝も込めて入手したいと思っています(^^)

 体調のコントロールとかたいへんそうですが、身体をいたわりつつ50周年に向けて活動していただけると嬉しいです。改めて、おめでとうございます。

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2025年3月16日 (日)

HOTSKY公演「ほおずきの家」再演を観る

 きのう15日は劇団HOTSKYの公演「ほおずきの家」を観てきました。場所は東京・保谷のタクトこもれびGRAFAREホール。最近の劇場はネーミングライツで長ったらしいのが多いですね。。。上演された小ホールは座席の前後間隔がゆったりしていて、見やすく良いホールでした。

 「ほおずきの家」は2023年1月に東京の座・高円寺で上演されたもので、今回は再演。しかもキャストが全く同じというのは演劇では珍しいのではと思います。初演を観て良かったので、今回の再演を楽しみにしていました。

 2年ぶりに観た「ほうずきの家」はやっぱり、良かったです。いまここに綴るにあたって初演の感想を当時の記事で再確認してみたら、今回の感想とほぼ同じだったので、今回は感想を省略(^^; 同一キャストでの再演ですから、当たり前といえば当たり前ですが。セットも同じでしたし。ただ、全てが同じかというとそうではなく、劇中の小ネタに時事性のあるものが仕込まれていたりして、大事なところはそのままに、笑える要素が少し増えた感じ。また話の筋をより強化するような仕掛けも追加されていたりしました。そういったことも含め、良い芝居でした。みんながこんな感じで暮らしてけたらいいのになあと、しみじみ。

 多くの方に観ていただきたい公演ですが、東京はあす17日が千秋楽。そのあと、この作品の舞台設定のモデルである北九州市での公演が3月22・23日の両日あります。公演情報はこちらで。お時間の合う方はぜひどうぞ。

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2025年3月15日 (土)

とあとあ 第5回公演を観る

 順番が前後しましたが、8日は東京・東新宿のPetitMOAで藤田朋子さんと小林綾子さんの朗読・音楽ユニット toa-toa (とあとあ)の第5回公演を観てきました。このシリーズ、いまのところ全回制覇できております(^^)  昼夜2公演でしたが夜の部へ。雪の予報もありましたが雨で済みました。客席はPetitMOAの限界まで並べた席がほぼ埋まる盛況。昼の部は完売だったようです。

 今回も2幕構成。1幕は短編の朗読劇として「覚えてない」。コットンのコントを朗読劇に仕立てたコメディで大いに笑いました。音楽は藤田さんのボーカル、小林さんのクロマチックハーモニカ、桑山哲也さんのアコーディオンでジャズの「L-O-V-E」。このシリーズでジャズは初めてですが、藤田さんは南青山MANDALAでのライブでジャズアレンジの曲も歌っているのでバッチリです。桑山さんのソロ演奏は、バンドネオンの「リベルタンゴ」をイメージしてアコーディオンのために書かれた曲(だったかな?)。例によってトークで笑いを取りに行ってましたが演奏は素晴らしいです。アコーディオンの解説もありましたが音色の切り替えスイッチがあることは初めて知りました。

 2幕は宮川一朗太さんをゲストに迎えての長編の朗読劇「びっくり箱」。前回に引き続き向田邦子作品ですがコメディタッチでところどころで笑いが。娘の結婚に厳しかった母が実は・・・みたいな、実生活でもありそうな話。悪い方向に行きそうな展開になりつつ最後はお互いにハッピーエンド。途中に出てくるびっくり箱が最後のオチに効いてくる、面白い話でした。母、娘、娘の恋人、母の恋人の4人が主な登場人物ですが、ここで宮川さんが大活躍、娘の恋人と母の恋人の2役なのに双方の会話シーンがあり、声色と顔の向きで演じ分けてまるで落語みたいでした。情景が見えてくるような朗読劇に大拍手。桑山さんの劇伴も良かったです。

 朗読劇のあとはtoa-toaと宮川さんの3人でおしゃべりタイムというか「感想戦」。宮川さんが出演することになったいきさつとか楽しかったですが、ここで宮川さんが裏話を投入。もともとの脚本では藤田さんが母、小林さんが娘だったのにゲネも終わった公演前日になって藤田さんと小林さんの役を入れ替えることになったと連絡が入って大慌てだったそう。藤田さんと小林さんのふたりで試しに役を入れ替えて読んでみたらいい感じだったから、ということらしいのですが、ゲネがゲネになってない(笑) ちなみに個人的に感じていることですが、しっかり者の風情がある小林さんには年上役、ちょっとお転婆な風味がある藤田さんには年下役が似合うと前々から思っていました。なので今回の入れ替え判断は良かったと思います!

 毎回同じような感想になりますが、大物役者のパフォーマンスをこんな小さなハコで、生声で、間近で観られるというのは実にすばらしく楽しいです。おすすめです。

 最後に恒例の撮影OKタイムから。撮影スタッフが居ないのでネットに上がった客席からの写真をあとで拾うのだそうです(^^)

Toatoa_vol5_1
 こちらは1幕の冒頭。春っぽいですね。

 

Toatoa_vol5_2
 こちらは2幕朗読劇のあとの感想戦。右に桑山さんもいらっしゃるのですが私の位置からは見切れていて写ってません(^^;

 次回はいつになるのかな。あればまた伺いたいです。

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2025年3月10日 (月)

被災80周年・東京大空襲

 きょう3月10日は東京大空襲から80年の日でした。節目の年とあって、例年よりもメディアで取り上げられる量が多めに感じます。しかし、8月の原爆忌や終戦の日、あるいは6月の沖縄慰霊の日などに比べれば圧倒的に少ないと感じます。わずか数時間で民間人10万人が虐殺された空襲です。その非人道性からも空襲の実相を伝承していくことが大切だと感じます。

19459310 今年も浅草公会堂での「東京大空襲資料展」を週末に訪れました。被災80周年ということで、例年の展示にあった戦時下の茶の間の再現コーナーを外した代わりに、空襲の実相がわかる記録写真の展示が増量されていました。浅草寺が所蔵していたという、空襲後の浅草寺の境内などですが、石の土台しか残っていない本堂・鐘楼や、火災に耐えて残ったご神木の大銀杏など、今と対比できる場所の写真を見ると具体的にイメージしやすかったです。そして、松屋デパート(東武浅草駅)を背に隅田公園内に広がる犠牲者の仮埋葬地。おそらく被災から数年後の写真と思われますが、遺体こそ写っていませんがその無数の墓標は衝撃的でした。(警視庁カメラマン石川光陽氏の撮影した遺体の写っている記録写真も例年どおりありました) これらの写真はすべて空襲後に撮影されたもので、空襲の最中の写真はありません。それを補っているのが空襲被害者の記憶に基づく絵画で、添えられたキャプションと合わせて見るといかに凄惨だったか伝わってきます。

 資料展は、ただ被害状況だけを並べているいるのではなく、東京大空襲に至るまでに日本が何をしてきたかを柳条湖事件(1931年)からの年表で表し、国が国民に対し何をしてきたかも展示しています。1943年に内務省が発行した「時局防空必携」には5か条からなる“防空必勝の誓い”が掲載されていますが、その一は「私達は『御国を守る戦士』です。命を投げ出して持場を守ります。」とあります。これ、戦士となってますが兵士ではなくて一般市民向けです。こういった「指導」と、逃げるな火を消せを義務付けた「防空法」が空襲の犠牲を大きくしたのは間違いありません。一方で、軍人・軍属には恩給が支給されながら民間人には何の補償もなく、超党派で準備しているという民間空襲被害者の救済法案は政府・自民党の反対で未だ国会提出にすら至っていない状況です。戦後80年、軍拡をやる前にやるべきことがあるのではないでしょうか。

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